二週間前の説教で、エペソ人への手紙の中に出てくる、普遍的教会を表す三つのたとえについて学びました。一 つは、教会は聖なる宮であるということでした。つまり、神様がキリストと神様のみ言葉の上に、私たちを互いに新しい宮として組み合わせて、神様が私たち教会の中に住むようになります。二つ目は、教会はキリストの体である、ということでした。つまり、体の部分一つ一つが成長するように、私たちもキリストの体の部分として、成長しています。三つ目は、教会はキリストの花嫁である、ということです。それはキリストが教会を深く愛して、教会のために自分の命を犠牲にしてくださったこと、また、私たちがキリストの花嫁として、キリストに従うことを教えています。
もっと読むアスリートのような考え方
箇所:コリント人への手紙第一9:19-27先週の説教の最後に、クリスチャンの人生は山登りのようだといいましたが、今日はまた違う視点から、クリスチャンの人生がどのように競技に参加するアスリートの生活に似ているのか、コリント人への手紙第一 9:19-27から学んでいきたいと思います。
もっと読む御霊のはたらき
箇所:使徒の働き1:4-11先週、神様の素晴らしい恵みについて、また、どうやって私たちが救われたのかについて学びました。それは、罪びとである人間が神様を拒み、神様の愛に値しなかったのにも関わらず、神様が恵みによって私たちを救ってくださったということでした。神様は自分の愛する子であるイエス様を私たちの代わりに死ぬためにこの世界に送り、その犠牲を通して、私たちの罪を赦してくださいました。また、神様が私たちを救ってくださったのは、神様があらかじめ備えた良い行いをするためであることも学びました。つまり神様には、私たちを救うことに、とても具体的な理由があったんです。今日考えたいことは、では私たちが救われた目的は何かということです。私たちは救われた後、何をするべきなのでしょうか。どのように神様がクリスチャンに与えておられる目的を達成できるのでしょうか。このことを理解するためにイエス様の最初の弟子について学びたいと思います。
もっと読む恵みのゆえに、信仰によって、良い行いをするのために、救われた
箇所:エペソ人への手紙2:1-10先週は罪の問題についてみました。そこから学んだことは、アダムとエバが最初の罪を犯した時から、完全に罪のない生活をした人間は一人もいないということでした。人間の心は汚れていて、たとえ小さい罪であっても、それは心の中で神様を信頼していないことや、愛していないことの表れです。ですから、神様は罪を犯した人間は必ず死んで、体の死だけではなくて、たましいも滅びることになると言いました。
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