生きる目的

イザヤ書43章6~7節B

ロビソン・デイヴィッド
2021年06月20日

 私たちの人生の目的は何なのだろうか?なぜ私たちはこの地球上にいるのか?私たちは何をすべきなのか?これらは難しい問いであり、世界にはたくさんの答えが提示されています。ある人は、家族を大切にすることや、子供に良い生活をさせることが人生の目的だと言うかもしれません。または、「世界をより良い場所にすること」と言う人もいるでしょう。しかし、人々が人生で追求する最も一般的な目的は、単に幸せになることではないでしょうか。

 

 今日は、私たちの人生の目的について、つまり私たちの幸せとはいったい何なのかについて、聖書が教えていることを見てみたいと思います。聖書は、すべての人間は、永遠にして全能である唯一の神によって創造されたと教えています。ですから、私たちの人生の目的を理解するためには、なぜ神様が私たちをお創りになったのかを理解する必要があるということになります。私たちクリスチャンは、神様がこの人生の目的についての問いや他の多くの疑問に対する答えを、聖書の中で明らかにしていると信じています。

 神様は昔、多くの預言者を通して、ご自身がどのような方なのか、また私たちがどのように生きるべきなのかを教えてくださいました。そして、ご自身の計画と目的に従って、イエス様を世に遣わされました。イエス・キリストは単なる預言者ではなく、神ご自身の御子であり、天地創造の前から神とともにおられ、すべてのものを創造された方です。実際、聖書によると、イエス様は神の形をしており(ピリピ2章6節「キリストは、神の御姿であられるのに、」)、神様のご性質を正確に受け継いでいました(ヘブル1章3節「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。」)。神秘的な方法で、イエス様と神様は一つなのです。そのイエス様が天から来られて、神様がどのような方であるかを私たちに啓示されました。

 聖書には、イエス様の教えと、神様が人々に遣わされた預言者たちの教えが記録されています。それは、造られた者である私たちへの神様からの直接のメッセージのようなもので、ご自身のこと、そして私たちにどのように生きてほしいかを伝えています。

 そこで今日は、私たちの人生の目的について、聖書がどのように教えているのか、見てみたいと思います。神学者たちが、私たちの生きる目的について聖書が述べていることを簡単にまとめた所によると、私達人間の生きる目的は、神をあがめ、神を永遠に楽しむことです。

 

 まず、神をあがめるとはどういうことか、考えてみましょう。

 預言者イザヤを通して、イザヤ書43章6~7節に、神様からの言葉が書かれています。

6北に向かっては「引き渡せ」と言い、南に向かっては「引きとめるな」と言う。わたしの息子たちを遠くから来させ、娘たちを地の果てから来させよ。7わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。

 この節から、私たちが何者なのか、そしてなぜ神様が私たちをお創りになったのかを学ぶことができます。私たちは、神様ご自身の栄光のために創られたのです。しかし、この節では、私たちは神様から遠く離れていると言われています。 私達は自らの罪深さによって、神から離れてしまったのです。私たちは、神の栄光から遠ざかり、神を軽視し、神を汚す生き方をしていました。しかし、神はそんな私たちを見放すのではなく、ご自身のもとに、私たちが創られた目的のために戻るようにと呼びかけておられます。その目的とは、私たちに対する神の力と権威を認め、神様がどのような方で、何をしてくださったかを賛美することによって、神をあがめることです。

 なぜ神を賛美しなければならないのか、と思うかもしれません。また、神は私に神を賛美するように命令する権利があるのでしょうか?私たちには3つの答えがあると思います。

 第一に、神様は私たちを創造されたので、私たちに命令する権利があります。陶芸家が粘土からコップや花瓶を作るとき、粘土が作り手に話しかけて、自分がどんな物に作ってほしいのかを要求することはできません。それと同じように、神様がご自身の栄光のために私たちをお造りになったのであれば、私たちには神様の目的に疑問を持ったり、別の目的を選ぶ権利はないのです。

 第二に、神様はすべてのものを私たちに与えてくださる方です。私たちの人生は、この方のおかげで成り立っています。世界を創られた方であり、私たちに食べるもの、飲む水、吸う空気を与えてくださっています。私たちがこの人生で享受しているものはすべて、この世界を創造した方からの贈り物です。それなのに、私たちはその贈り物を神に感謝することなく、創造主を無視し、拒絶してきました。私たちは、自分の親を軽蔑する子供のように、すべてを与えてくださった方に対して恥ずべき行為をしてきたと言えるのです。しかし、神はそんな私たちを拒絶するのではなく、完全な御子であるイエスを遣わし、私たちを教えるだけでなく、私たちの代わりに死んで、その罪を取り除いてくださいました。私たちは、神様に対して何の価値もない存在だったにもかかわらず、神様が私たちに与えてくださったすべての良い事のゆえに、神をあがめるべきなのです。

 第三に、神様は無限の栄光に満ちておられる方です。神様は、愛、知恵、力において無限です。宇宙のすべての原子を創造し、破壊する力を持っておられます。人生のすべての疑問に対する答えを持っておられます。 朝日よりも美しく、どんな権力者よりも威厳があり、どんな聖人よりも義なる方です。誰も、この方と比べることはできません。神様はすべての者の前に存在し、すべての者の上におられ、神様によってすべての者が造られました。神様は私たちの礼拝と賞賛に値するだけでなく、私たちが礼拝せざるを得ないほど輝かしい方なのです。

 

 このことは、私たちの生きる目的の第二の部分、すなわち、神を永遠に楽しむということにつながります。

 聖書の中で、神の預言者の一人が、詩編4章7節でこう言っています。

 あなたは喜びを私の心に下さいます。それは彼らに穀物と新しいぶどう酒が豊かにある時にもまさっています。

 

 神様が私たちをお創りになったのは、神様をあがめるためだけではなく、神様の素晴らしさを楽しむためでもあります。私たちの神様は愛の方であり、私たちに対する神様の目的は、神様との関係の中で生きる私たちが、限りなく幸せになることです。もし神様が本当に最も輝かしい存在であり、私たちが神様を知り、その祝福を受けることがご目的であるならば、神様の近くにいて、神様に受け入れられること以上の喜びはありません。そして、神様の目的は、私たちを死から救い、神様とともに永遠に生きることなのです。

 私たち人間は、神様から関係のない所で、生きる目的や人生の意味を求める傾向があります。しかし、私たちが神様のもとに立ち返り、神様の栄光を最高の目的とするなら、神様は私たちを究極の喜びに導いてくださいます。私たちが人生で求める他のすべての目的は、私たちが神様の栄光に命をささげることによってのみ正しく満たされることができるのです。もし私たちが神様の栄光よりも、家族や自分にとって幸せだと思うこと、あるいはこの世の必要性を優先させるなら、私たちは最終的に不満と失望を味わうだけです。しかし、すべてのことにおいて神様を賛美することを第一に求めるなら、神様は私たちの家族や世界を真に愛し、祝福し、神様から真の幸福を受け取るための知恵を与えてくださることに気づくでしょう。 

 私たちが何を必要としているかを私達よりも神様がよく知っておられることを認め、神様を愛し、心から信頼することによって、神様は永遠に私たちをご自身の平和と喜びで満たし、私たちを通してこの世にご自身の完全な計画と目的をもたらしてくださることを信じて生きていきましょう。