信仰告白

1.         私たちは、聖書が神から独自(どくじ)に霊感(れいかん)を受けた人々によって書かれた神のことばであると信じる。それゆえ聖書は全く信頼(しんらい)するにあたいし、信仰と実践(じっせん)のあらゆる事柄(ことがら)において最高の権威(けんい)をもつものであると信じる。

2.         私たちは、天地(てんち)の創造(そうぞう)主(しゅ)であり、聖において完全(かんぜん)、知恵(ちえ)において無限(むげん)、力において測(はか)り知(し)ることのできない天なる神を信じる。父なる神は、あわれみ深く、人間の諸問題(しょもんだい)に関心(かんしん)を払(はら)われるお方であり、また祈りを聞きそれに答えを与え、イエス・キリストを通してご自分のみもとに来るすべての人々を罪と死から救われるお方であると信じる。

3.         私たちは、神のひとり子であり、聖霊によってみごもり、処女(しょじょ)マリヤから生まれ、罪なき生涯(しょうがい)をおくり、十字架の死によって世の罪のあがないをなされたイエス・キリストを信じる。また、イエス・キリストは肉体(にくたい)をもって復活(ふっかつ)され、天にあげられ、ご自分の民のために大祭司(だいさいし)として執(と)り成(な)しをなし、ご自分の千年(せんねん)王国(おうこく)を建設(けんせつ)するために再(ふたた)びこの世界に見える姿で帰られると信じる。

4.         私たちは、罪と義(ぎ)と裁(さば)きとについて世の人々の目を開き、イエス・キリストを信じる人々を新生(しんせい)させ、きよめ、慰(なぐさ)めるために神よりつかわされた聖霊を信じる。

5.         私たちは、すべての人間が、生まれながらにしても、また意識的(いしきてき)にも罪人(つみびと)であるが、しかし、「神は実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」John 3:16と信じる。それゆえ、キリストを自分の主および救い主として受け入れる者は、神の御前(みまえ)で永遠に喜び、キリストを自分の主として受け入れることを拒否(きょひ)する者は永遠に神から引き離されると信じる。

6.         私たちは、キリストが頭であり、新生(しんせい)したすべての者が会員(かいいん)である生きた霊のからだである教会を信じる。また、地域(ちいき)教会(きょうかい)は、バプテスマによってイエス・キリストとともに葬(ほうむ)られ、礼拝(れいはい)と奉仕(ほうし)と交わりのために結合(けつごう)しているイエス・キリストを信じる者の群(む)れであると信じる。また、この地域(ちいき)教会(きょうかい)に対してバプテスマ(浸礼)と主の晩餐(ばんさん)の式とを「主の再(ふたた)び来られる時まで」守るように命(めい)ぜられたこと、および、失(うしな)われている世界にイエス・キリストを救い主として受け入れ、彼を主または師(し)として王座(おうざ)につかせるように説(と)きすすめる仕事(しごと)を与(あた)えられたと信じる。また、人間性(にんげんせい)の改善(かいぜん)と社会(しゃかい)の改良(かいりょう)は福音(ふくいん)の必然的(ひつぜんてき)な結果(けっか)であると信じる。

7.         私たちは、全人類(ぜんじんるい)が、信仰(しんこう)のあらゆる問題(もんだい)において、ただ神に対してのみ責任を持つと信じる。

8.         私たちは、各教会(かくきょうかい)は独立(どくりつ)かつ自治(じち)であり、いかなる教会会議の権力(けんりょく)や政治的(せいじてき)権威(けんい)による干渉(かんしょう)からも自由でなければならないと信じる。それゆえ、教会と国家(こっか)とはそれぞれ異(こと)なった機能(きのう)をもち、他の一方からの命令や保護(ほご)なしに、それぞれの務(つと)めを果たすものとして分離(ぶんり)されていなければならないと信じる。

 

※盛岡聖書バプテスト教会信仰告白