キリスト教の天国と地獄

マタイの福音書25章31~46節

ロビソン・デイヴィッド
2021年11月21日

 みなさんは、人は死んだらどうなるのだろうと考えたことはありますか?ほとんどの人があると思いますが、それを考え始めると少し不安になるので、あまり考えたくないことかもしれません。話題にするとしても、死後の世界のイメージは、あまり深刻になるのではなく、おもしろおかしく想像することも多いのではないでしょうか。

 例えば、アメリカの漫画などでは、天国は雲の上に座って一日中ハープを弾いているような場所として描かれています。一方、地獄は、角と尻尾のある悪魔が悪人を三叉のほこで突いて罰する、地下の炎のような場所として描かれています。このような漫画的な天国と地獄のイメージは、キリスト教の教えに影響を受けています。聖書は、人が死んだら天国か地獄のどちらかに送られると教えていますが、聖書に描かれている天国と地獄は、実際には漫画などでよく見られるものとは大きく異なります。

 今日は、聖書が天国と地獄についてどのように教えているかを見てみたいと思います。

 私は、物心ついたときから、死んだらどうなるのだろうと考えていました。子供の頃は、自分が死んで地獄に行くのではないかと恐れていました。そのため、教会で天国や地獄について語られることによく注意を払っていました。また大人になってからは、死後のことについて他の宗教がどのように教えているかに興味を持ちました。

 日本に来てからは、仏教で天国と地獄をどのように見ているのかを学んでいます。日本に来る前は、仏教徒は輪廻転生を信じているので、それと矛盾するように見える天国や地獄の存在は信じていないのかと思っていました。しかし、2012年に初めて宮古に来た時に浄土ヶ浜を訪れ、「浄土」というのが「仏教徒の天国」を意味することを知って驚きました。調べてみると、浄土とは静寂と美と悟りの地であり、菩薩が死者の解脱を助ける場所と言われています。また、仏教徒は地獄も信じていることを知りました。仏教の地獄は、前世で悪事を働いた人に悪魔が恐ろしい罰を与える場所だと言われています。

 仏教の天国と地獄は、どちらも死者が限られた期間だけ行く、一時的な場所だと考えられているということが、キリスト教の天国と地獄しか知らなかった私にとっては非常に興味深い点です。浄土に行った人は、最終的に全員が涅槃に到達します。一方で地獄に行った人は、何百万年もそこで苦しむことになるかもしれませんが、最終的には生まれ変わって、悟りへの道を歩み続けるチャンスを得ることになります。仏教徒にとって天国と地獄は、人生の究極の目標と考えられている涅槃に到達することにつながる、旅の途上の通過点にすぎないのです。

 一方、キリスト教では、天国も地獄も、一時的な場所ではなく、人のたどり着く最終地点であると考えます。イエス様はこうおっしゃいました。

 マタイの福音書 25章46節
「こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」

 つまり、天国か地獄のどちらかに入ったら、永遠にそこにとどまることになるのです。ここが仏教の教えとは違う所です。そしてそれは、聖書の教える人生の最終的な目標が、仏教の涅槃とは根本的に違うことからきています。聖書によれば、人類の究極の目標は、煩悩から解放されて涅槃に到達することではなく、私たちを創造した全能の神と和解することです。ですから、天国を特定の場所と考えるのではなく、神様がおられて、人々が神様の支配に服従する場所が天国だと考えます。天国の喜びは、神を知り、神とともに生き、神に愛されることです。イエス様はこうおっしゃいました。

 ヨハネの福音書17章3節
「 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」

 

  地獄はこれと逆の状態です。地獄とは、人々が神の前から追放され、神の愛の代わりに神の怒りを経験する場所です。

 聖書によると、神様は、ご自分が造られた世界を管理するために、人間を創造されました。私たちは神との関係を持ち、神を愛し、神からの愛を受けるようになっていました。神が最初の男アダムと最初の女エバを創造したとき、このような人生がありました。死や苦しみはなく、人間は神と完全な関係を築いていました。天と地は基本的に同じでした。

 しかし、聖書によると、神に造られて霊的な領域で神に仕えていた天使の一人が、神様に反抗しました。それがサタンと呼ばれる悪魔です。神様はその罰として、サタンとサタンに従った天使たちを天国から追い出し、彼らのために地獄を用意されました。神様は、この世の終わりにサタンとその手下達が地獄に投げ込まれ、永遠に神様の怒りを受けると宣言されました。神様が人類を創造されると、サタンは地上に来て、最初の男女であるアダムとエバを誘惑しました。その結果、人は神に従わず、神の権威を拒みました。サタンは二人に、自分と一緒になって神に反抗するように説得したのです。そして神は、サタンに従った者はすべて同じ罰を受けると宣言しました。

 マタイの福音書25章41節
 「それから、王は左にいる者たちにも言います。『のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ』」

 悲しいことに、聖書は、アダムとエバが罪を犯した結果、全人類が堕落し、神に反抗することになったと教えています。すべての人は、神に逆らう心を持って生まれ、邪悪なことをしたり、神の代わりに他のものを拝んだり愛したりしています。そのため、私たち全員がサタンと共に地獄に落とされることになってしまったのです。

 しかし、これは神様が望まれたことではありませんでした。そこで神様は、人々をご自身のもとに導き、赦されて天国で神様と永遠に過ごすチャンスを与えるための計画を立てられました。神様は、私たちに罪を悔い改めて神様のもとに戻ることを教えるために、御子イエスを遣わされたのです。そして、神様のもとに戻る方法を教えてくださった後、イエス様は私たちの罪を贖うために十字架上で死なれ、私たちに代わって死を打ち破り、よみがえられました。その後、イエス様は天に昇られ、いつの日か戻ってきてご自身の王国を築き、再び地上に天国を作り、その時に生きる者と死者を裁くことを約束されました。悔い改めてイエス様を信じる者は赦されて天国に迎えられ、神を拒み続ける者は地獄に落とされると約束されました。

 ヨハネの福音書3章16-18節

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。17それは御子を信じる者が、一人っとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。17神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。18御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。」

 

 聖書の教えている天国とは、どのようなところでしょうか?聖書によると、神様が天から降りてきて、人間と一緒に住むようになり、この地上が天国になると言われています。言い換えれば、聖書は、天国は今の私たちの世界と同じように、物理的な世界になると教えています。天国に入った人たちは、食べたり飲んだり眠ったりします。彼らは形のない魂ではなく、復活した人間であり、老いることもなく、病気になることもなく、死ぬこともない、新しい完全な体を持って生き返るのです。神の支配と保護の下では、悲しみも苦しみも痛みもありません。しかし、最も重要なことは、天国に入った人は創造主(ぬし)である神様と一緒にいられるということです。聖書によれば、これが天国の真の喜びなのです。

 聖書は、神様を愛さず、神様に反抗し続けて死んだ人は、天国に入ることができないと教えています。仮に天国に入ることができたとしても、そこは喜びの場所ではなく、自分が敵とした全知全能の宇宙の神の前に立つことになるので、恐怖の場所となるでしょう。

 聖書では、地獄は永遠の苦しみの場として描かれています。地獄は、人間も悪魔も含めて、神様に反抗するすべての者が一緒に罰せられる場所です。実は聖書は、地獄がどのような場所なのかについて、あまり詳しくは教えていません。ただ、非常に恐ろしい場所であることを明らかにしています。そこは、泣き叫ぶ場所であり、悲しみの場所であると言われています。また、火の池、渇きのない場所、外なる暗闇などとも呼ばれています。そこは、人々が永遠に拒絶と悲しみと苦悩を経験する場所なのです。神様の完全で揺るぎない正義によって、神様を拒絶する者はすべて神様に拒絶されます。

 聖書の地獄に関する教えは、キリスト教の中でも最も聞き入れがたい教えの一つだと思います。クリスチャンの中には、地獄についてあまり話したがらない人もいます。しかし私は、聖書の地獄に関する教えは、2つの非常に重要な真理を示していると思います。まず、人間がいかに罪深い存在であるかを示しています。私たちが自分の神に対する罪の大きさを理解するのが難しいのは、すべての人が罪を犯しているからです。それは、私自身も、すべてのクリスチャンも同じです。良いことをしたから天国に受け入れられるのではなく、罪が赦されたから天国に受け入れられるのです。神の罰は常に公正であることを理解し、神が私たちのために定められた恐ろしい罰を見ると、私たちがどれほどひどい罪を犯したかを理解することができます。

 しかし、地獄についての聖書の教えは、神様の憐れみと愛も示しています。聖書は、神様は誰にもそのような運命をたどらせたくないと言っているのです。

 第二ペテロ3章9節
「 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを送らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

 聖書には、私たちが神に対して大きな罪を犯しているにもかかわらず、神は悔い改めてイエスに信仰を置くすべての人を喜んで赦してくださると書かれています。神様は、私たちが受けるべき罰から私たちを救うために、大変な苦しみを通られました。その恵みと慈しみによって、私たちは神の子とされ、天の御国で神と共に永遠に生きる道を与えられているのです。これこそが、イエス様が私たちに示してくださった大きな希望です。