新しいクリスチャンを励ますアドバイス

使徒の働き11

ロビソン・デイヴィッド
2020年03月15日

 新しいクリスチャンを励ますためにアドバイスをするとしたら、何と言うでしょうか。毎日聖書を読むことや、毎日祈ることでしょうか。毎週日曜に礼拝に行くことかもしれません。または、誘惑を避けて、イエス様の教えを守ることもいいアドバイスかもしれません。色んなことがあります。

 今日は、バルナバがアンティオキアの教会の新しいクリスチャン達をどのように励ましたのかを見ます。バルナバのアドバイスは使徒の働き11:23に書いてありました。それは心を堅く保って、いつも主にとどまっている、ということでした。今日はそれがどういう意味なのかを考えてみたいと思います。

 まず、どうしてバルナバがアンティオキアに行ったのか、またどのように神様がアンティオキアの教会を始められたのかを見てみましょう。

使徒の働き11:19-21

 19節で、ステパノのことから起こった迫害が出てきます。それは使徒の働き7章で、ユダヤ人の指導者達がステパノを殺したことから始まった迫害です。ステパノが殺されたすぐあと、サウロがエルサレムで、家から家に押し入って教会を荒らし、男も女も引きずり出して牢に入れました。その結果、エルサレムに住んでいる多くのクリスチャンが、サウロの迫害から脱出するためにエルサレムから逃げました。

 ユダヤ人の指導者たちは、イエス様の弟子を迫害してイエス様の教えが広まるのを阻止すれば、多くの人がイエス様を信じることを防ぐことができる、と考えました。迫害を経験したクリスチャン達も、そうなることを恐れていたかもしれません。しかし、まったく反対のことが起こりました。その迫害によってクリスチャンの増加は止まるどころか、イエス様を信じる人はむしろ増えていくことになったのです。

 イエス様が使徒の働き1:8で言ったことを思い出してみましょう。

使途の働き1:8

 ステパノが殺される前には、イエス様の弟子たちはほとんどエルサレムから出ませんでした。しかし、サウロが率いた迫害を逃れるために多くのクリスチャンがエルサレムを離れ、行った先々でイエス様の福音を宣べ伝えました。つまりサウロの迫害の結果、福音が大いに広がったのです。使徒の働き8章で、ピリポがサマリアに入って福音を宣べ伝え、多くのサマリア人がイエス様を信じたことによって、イエス様が使徒の働き1:8で言われたことが成就しました。

 今日の箇所では、サウロの迫害によって、サマリアより遠いアンティオキアまでクリスチャンが散らされたことが分かります。当時のアンティオキアはとても大きくて重要な町で、シリヤの首都でした。エルサレムから480キロメートル北に位置していて、人口は25万人でした。異邦人が多かったけれどもユダヤ人もたくさん住んでいました。ピリポと同じように、クリスチャン達はアンティオキアに着くと、福音を宣べ伝え始めました。

 このクリスチャン達がサウロから逃げた人たちであったことを頭に置いておいてください。あとで、これが大切な事実であることが分かります。

 このユダヤ人のクリスチャン達は、最初はヘブル語を使うユダヤ人だけに福音を宣べ伝えました。しかし、エルサレムから離れたユダヤ人の中には、ギリシャ語を使う人たちもいましたので、アンティオキアに住んでいるギリシャ語を使うユダヤ人たちにも福音を伝え始めました。それから、神様がアンティオキアに住んでいるギリシャ語を使うユダヤ人の多くを救いに導かれました。アンティオキアに住んでいる人が大勢クリスチャンになったという知らせを聞いたエルサレムの教会は、神様の働きを見に行くためにバルナバをアンティオキアへ送り出しました。

使徒の働き4:23-24

 この使徒の働きの説教シリーズの中で、以前にも二回バルナバが出てきました。最初は使徒の働き4章で、バルナバは畑を売った代金を教会に捧げたとても寛大な人として紹介されました。次に、使徒の働き9章で、サウロがクリスチャンになったばかりの時に、サウロを恐れて受け入れようとしないエルサレムの教会のリーダーたちに対して、バルナバがサウロの回心が真実なものであることを伝えて、サウロと使徒たちの間の橋渡しをしました。

 使徒の働き4:36には、バルナバの名前の意味が記録されています。それは慰めの子という意味で、とてもふさわしい名前だと思います。使徒の働きを読むと、バルナバが多くの人を慰めたり、励ましたりする人だったことが分かります。今日の箇所でも、バルナバはアンティオキアの新しいクリスチャン達によいアドバイスをして、彼らを励ましています。そのアドバイスをもう少し詳しく学んでいきたいと思います。

使徒の働き11:23

 バルナバのアドバイスは、心を堅く保っていつも主にとどまっていることでした。これはクリスチャンになった人が最初に学ぶべきことかもしれません。このアドバイスには二つの部分があります。一つ目は、いつも主にとどまっていること。二つ目は、どうしたらいつも主にとどまることができるか、それは心を堅く保っていることです。その二つのことを順番に考えましょう。

 まず、いつも主にとどまっていること。

 主とは誰でしょうか。それはイエス様ですね。そしてバルナバが使っている「とどまる」というギリシャ語の言葉は、一緒にいるとか、共に住む、忠実である、何かにしっかりつかまるといった意味です。つまりバルナバが言っているのは、いつもイエス様と一緒にいて、いつもイエス様と共に住んで、いつもイエス様にしっかりつかまっていなさいということなのです。

 主にとどまる、ということだけを読むと、誤解を生む可能性があるかもしれません。ここでバルナバが言っている意味は、クリスチャンをやめないことや、信仰を捨てないこと、キリスト教から離れない、ということではありません。新しいクリスチャンが常につかまっているべきものは、考え方や教えや宗教ではなくて、イエス様ご自身です。いつもイエス様と近くにいなさいというアドバイスなのです。  

 たとえば、夫婦関係を考えてください。妻が夫にとどまるとはどういうことでしょうか。一つは、夫と親しくすることですね。夫とともに同じ家に住んで、毎日顔を合わせて話していることです。また、表面的に親しくするだけではなくて、情緒的にも近い間柄になることだと思います。夫に対して、他の男性に対するのとはまったく別の愛をもって愛することだと思います。

 バルナバのアドバイスの意味は、そのようなことだと思います。クリスチャンは、愛し合う夫婦のようにイエス様にとどまるべきだということです。具体的にはどのようなことでしょうか。それは、祈りとか、聖書を読むとか、イエス様の教えを守ることを通して、イエス様を常に心の中に置いて生活することです。また、主にとどまることはイエス様に忠実であることです。一日一日、その日の計画や、将来の計画を作る時、イエス様の心を考えることです。誘惑に直面した時にもイエス様の言葉を思い出して、イエス様に信頼して従うことです。イエス様から離れてしまったことに気づいたら、すぐにイエス様の元に立ち帰ること。苦しみを経験する時、すぐにイエス様に心を向けることです。

 しかし、この世の中の多くのものが、クリスチャンをイエス様ご自身、またイエス様の恵みと保護から離れさせようとするので、いつも主にとどまることは簡単なことではないと思います。

 それについて、バルナバのアドバイスの二つ目の部分を見てみましょう。どうすればいつも主にとどまることができるのでしょうか。このみことばによれば、それは心を堅く保っていることです。イエス様の近くにとどまることを決意することです。クリスチャンがイエス様にとどまることができるためには、それを目的にしなければなりません。

 私たちとイエス様との関係は、軽い関係であるべきではありません。少し一緒に過ごして楽しんで、終わったら一人で帰るような関係とは違います。しかし多くの人は、そのような軽い感覚でイエスさまとの関係をとらえているのではないでしょうか。教会での交わりを楽しめている限りは、イエス様と共にいることができます。聖書の教えが受け入れやすく、自分にとって益になっていると感じる限りは、イエス様と共にいることができます。しかし、イエス様より自分を理解してくれると思う誰かに出会えば、イエス様から離れてしまいます。または、イエス様を信じることを通して苦しみを経験すれば、イエス様から離れてしまうのです。

 バルナバのクリスチャンに対するアドバイスは、どんなことがあっても心を堅く保って、いつもイエス様にとどまることをしっかり決心することです。喜んでいる時も、また苦しんでいる時にも、イエス様の近くにとどまって、忠実にイエス様につかまっていなさいという励ましです。

 バルナバがこれを書いた時、アンティオキアのクリスチャン達は喜びの中にいたと思います。初めてイエス様の愛を経験し、イエス様の知恵に驚嘆して、わくわくしていたと思います。そのような時にはイエス様にとどまるのは簡単なことです。しかしバルナバが分かっていたことは、クリスチャンは誰もが必ず困難を経験するということでした。私たちは、イエス様から離れる誘惑を経験することが必ずあります。だからこそバルナバは、彼らがイエス様との関係の中で喜んでいる時に、心を堅く保っていつも主にとどまるようにと励ましたのだと思います。

 使徒の働きを読み進めると、このアンティオキアのクリスチャン達がバルナバのアドバイスに従って、とても素晴らしい教会になったことが分かります。バルナバは、最初の訪問のあと、サウロを探しにタルソへ行って、アンティオキアに連れてきました。そして、サウロと一緒にアンティオキアの教会を教えたり、励ましたりしました。このサウロは、エルサレムの教会を迫害したのと同じサウロです。アンティオキアで初めて福音を宣べ伝えたクリスチャンたちは、このサウロから逃げた人たちでしたが、神様の不思議なご計画の中に、そのサウロがその群れの牧師になったのです。

 そこから、アンティオキアの教会がサウロとバルナバを宣教師として送り出し、彼らの奉仕を通してたくさんの教会が生み出され、イエス様の福音を地の果てにまで届ける使命において大きな役割を果たしました。

 私たちも、心を堅く保っていつも主にとどまるように決意しましょう。イエス様から遠く離れているように感じるなら、イエス様の元へ走って戻りましょう。イエス様はいつも、ご自分の命を捧げて救われた人々を、両手を広げて受け入れてくださいます。今イエス様と近くにいると感じるなら、いつもそのようにイエス様にとどまることをしっかり決心しましょう。また、イエス様から自分を離そうとするものを警戒しましょう。私たちがアンティオキアの教会のような教会となることを、共に祈りたいと思います。