福音を宣べ伝える必要性

使徒の働き10:34-48

ロビソン・デイヴィッド
2020年03月 8日

前回使徒の働き10書の最小の部分を見って、ペテロの天から下りて来た敷布の幻を学びました。 その意味は、神様がペテロを異邦人に福音を伝えるために遣わされたということでした。神様の素晴らしいご計画は、ユダヤ人だけではなく、すべての人々に、イエス様にある信仰による救いの導きを現わしているということでした。
 今日は、使徒の働き10章の後半の部分から学びたいと思います。特にペテロがコルネリウスに伝えたメッセージにフォーカスして、この箇所から、二つのポイントを考えたいと思います。
1.福音を宣べ伝える必要性
2.福音の内容
 まず福音を宣べ伝える必要性ということについて、コルネリウスという人物に焦点をあててみたいと思います。神様がコルネリウスの人生の中にどのように働かれたのかを学ぶことによって、福音の必要性が明らかになります。
この箇所から一つはっきり分かることは、コルネリウスはとても良い人だったのにも関わらず、福音を聞くことを深く必要としていたということです。
使徒の働きの10:1-2
 コルネリウスは敬虔な人でした。神様についてもっと知りたいという思いを持って、いつも良い行いをして、いつも神様に祈っていた人でした。つまり、コルネリウスは求道者でした。彼は貧しい人のために働いて、多くの人から尊敬されていました。
 それで十分ではないか。世の中の多くの人はそのように思うかもしれません。神様は、コルネリウスのような良い行いをする人を、受け入れてくださるはずではないでしょうか。彼は福音を聞いたことがないのに、神様に一生懸命従おうとしていたのです。コルネリウスのような人は、世の中に大勢いると思います。そのような人が死んで神様の御前に出る時、神様はその人を受け入れてくださるのでしょうか。
 ペテロが使徒の働き10:34-35で言ったことを読むと、神様がコルネリウスのような人を受け入れてくださるんだと解釈する人もいるかもしれません。
使徒の働き10:34-35
 ここでペテロの言っている意味は、コルネリウスのように良い行いをしている人は、福音を信じなくても受け入れられるということなのでしょうか。聖書は、そうではない、とはっきりと教えています。
救いは、福音を聞いて、信じることを通して のみ 与えられるものです。福音の良い知らせは、イエス様が私たちの罪のために死んでくださったこと、また復活されて、私たちが神様と和解する道を作ってくだった、ということです。
 イエス様はヨハネの福音書14:6で、「私が道であり、真理であり、命なのです。私を通してでなければ、誰も父のみもとに行くことはできません」と言われました。
 またペテロは使徒の働き4:12で、こう言っています。「イエス・キリスト以外には、誰によっても救いはありません。天の下でこのみ名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」
 人間が置かれているきびしい現実は、どんなにいい人に見えても、罪を犯していて、心の中で神様を汚しているという現実です。良い人であるということに基づいて、神様に受け入れられる人は誰もいないのです。今日の箇所からも、この真実を学ぶことができます。
使徒の働き10:30-33
 もし福音を知らなくても神様に受け入れられるなら、コルネリウスは受け入れられるはずだったと思います。コルネリウスは、イエス様を信じてもいなかったし、クリスチャンに会ったこともなかったのに、いつも周りの人を助けたり、神様に祈ったりしている人でした。神様はコルネリウスの祈りを聞いて、彼のところに御使いを送りました。
しかし、神様が御使いを送った理由は、コルネリウスが良い人間だったからではなく、むしろ彼の良い行いが、救われるためにはまったく不十分だったからなのです。彼が神様に受け入れられるためには、必要ことがまだありました。
 使徒の働き10:32を見てください。御使いのコルネリウスに対するメッセージは何でしたか。「ヤッファに人を送って、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。」と言うメッセージでした。つまり、自分に福音を伝えられる人を招きなさい、ということです。なぜでしょうか。それは福音を聞かずに救われることはできないからです。
 しかし、御使いのメッセージには、もう一つ興味深いことがあります。どうして御使い自身がコルネリウスに直接福音を伝えなかったのでしょうか。神様を深く知りたいというコルネリウスに、御使いたちは人間を招きなさいと言うのです。どうしてでしょうか。
 このことから分かることは、人が救われるためには、福音を聞くことだけではなくて、御使いではなくて、人間から福音を聞くことが必要だということです。それが神様のご計画だからです。
ローマ人への手紙10:13-17
 神様が命じられたことは、御使いではなく、救われた人間、つまりクリスチャンが、本当の神様を知らない人々に福音を届けることです。この責任は、私たちクリスチャン一人一人が神様からいただいた召しです。そしてこの大切な責任をいただいたのは、神様の恵みによることです。
私たちは罪びとだったのに、神様に従わない者だったのに、それにも関わらず神様は私たちを愛して、福音を通してご自分を現わし、救いに導いてくださいました。それだけでなく、ご自分の信頼する大使として、私たちをこの世に送り出してくださっているのです。
 それが今日の一つ目のポイントです。誰かが神様に受け入れられて救いを受けるために必要なことは、私たちが福音を宣べ伝えることです。これこそが、神様が地の果てまでご自分の恵みと真理を広げるためのご計画なのです。私たちを用いて、ご自分の教会である私たち一人一人を通して、すべての人に福音を宣べ伝えることが、神様のご計画の大切な一部分なのです。誰かが福音を宣べ伝えなければ、誰も福音を聞くことはできません。福音を聞かないなら、福音を信じることもできません。福音を信じないなら、イエス様の御名を呼ぶこともありません。イエス様の御名を呼ばないなら、救われることはできないのです。
 これを頭に置いて、今日のポイントの2つ目を続けて学びたいと思います。今日の2つ目のポイントは、福音の内容は何か、ということです。
 使徒の働き10:35で、ペテロは「どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は神に受け入れられます」と言っています。それは真理です。しかしここで大事なポイントは、イエス様を信じていないなら、神様を恐れることも、正義を行うこともできない、ということです。
 イエス様はヨハネの福音書3:18でこう言われました。「御子を信じない者はすでに裁かれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。」またヨハネの手紙 第一3:23で使徒ヨハネは、「私たちがみ子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」と言っています。
 これらの真理に基づいてペテロの言葉を理解するなら、イエス様による信仰を通して神様を恐れて、正義を行うなら、異邦人であっても神に受け入れられるという意味です。ペテロは、そこからコルネリウスと彼の家族に、イエス様について伝えています。福音を理解しイエス様を信じる信仰を通してのみ、神様に受け入れられるようになるからです。
 ここでペテロが語った説教の中に、福音の内容がはっきり表されています。ペテロの説教を6つの点に分けて見てみたいと思います。
1.平和はイエス・キリストによってのみ与えられる。
 使徒の働き10:36の最初の部分を見てください。
「神はイスラエルの子らにみことばを送り、イエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えられました」
 神様との平和は、イエス様によってのみ与えられます。すべての人間は神様に対して反逆しているので、もしイエス様がこの世に来て平和の道を作ってくださらなかったら、この反逆によって人間は破滅するはずでした。
先ほど、イエス様が「御子を信じない者はすでに裁かれている」と言われたのを読みました。すべての人間は罪に汚れている者で、自分を聖くすることができない者です。ですから神様との平和は、神様が送られた御子イエス様を通してでなければ得ることはできません。

2.イエス・キリストはすべての主である。
使徒の働き10:36―38
 私たちがイエス様の名によって信じて救われるなら、イエス様がどういう方なのかを知らなければなりません。神様はイエス様に聖霊と力によって油を注がれました。それによってイエス様はこの世にいる間、誰も見たことがないような力を現わされました。悪魔に打ち勝つ力、病気を癒す力、海と風を支配する力、パンを増やす力、死に打ち勝つ力を持っていました。
 使徒ヨハネはヨハネの福音書1章で、イエス様がどのようなお方であるかを記しています。すなわちイエス様は初めにおられた方です。そして、すべてのものはイエス様によって作られました。イエス様は神とともにあって、イエス様が神ご自身なのです。
 使徒パウロはピリピ人への手紙2:9-11でこう書いています。
「それゆえ神はこの方を高くあげて、すべての名にまさる名を与えられました。
それはイエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」
 イエス様を信じるというのは、イエス様がすべての主であることを受け入れて、イエス様の権威に服従することです。イエス様のしもべとなることなしには、イエス様を信じていると言うことはできません。

3.イエス様は十字架にかけられて殺された。
使徒の働き10:39
 神様と人間の間の平和を作ってくださるイエス様は、人間によって殺されました。すべての人の主である方が、人によって十字架にかけられて殺されました。限りない力を持つイエス様が、犯罪者のように死刑にされたのです。イエス様は、苦痛と屈辱の死を通られました。しかしその死を通して、イエス様は神様と人間の間に平和を作ってくださいました。イエス様は私たちの死を死んでくださったのです。イエス様は、自分に信頼する者の代わりに、神様の律法の要求を満たし、私たちの罪を背負って、私たちの罰を喜んで受けてくださったのです。

4.神様はイエス様を三日目によみがえらせた。
使徒の働き10:40
 これがこのペテロの説教の一番大切なポイントかもしれません。社会に大きな影響を与えた宗教的リーダーはたくさんいました。多くの人から賞賛され慕われた人も大勢いました。しかし、そのような人達はすべて死に、死んだままです。人間にとって一番恐ろしい敵である死に打ち勝つ力は、誰も持っていませんでした。私たち人間のすべては、いつか死にます。死を避けて通ることは絶対にできません。
 しかしイエス様は死に打ち勝たれました。イエス様は死から復活され、生きたまま天に昇られて、今もこれからも永遠に生きておられます。救いの希望は復活の希望です。クリスチャンの希望は、死んでもいつかイエス様のように復活して、永遠にイエス様とともに生きることです。

5.イエス様は、生きている者と死んだ者のさばき主として神様が定めた方である。
使徒の働き10:42
 イエス様は今も生きていて、神様からすべての人間を裁く責任を与えられています。イエス様は、私たち一人一人の運命をさばかれるお方です。私たちが死んでイエス様の御前に出る時、私たちが神様の永遠のみくにに受け入れられるのか、それとも神様の元から引き離されて地獄に送られるのかを裁かれる方です。
しかしもう学んできたように、私たちには誰にも、自分の良い性質や行いによって神様の国に入ることはできません。神様の裁きの基準は、御子イエス様による信仰を持っているかどうかだけです。

 ペテロの説教の最後のポイントは
6.イエス様を信じる者は誰でも、その名によって罪の赦しを受けることができる。
使徒の働き10:43
 誰も、イエス様に信じることなしには、神様から赦しをいただくことはできません。しかし誰でもイエス様を信じれば、赦しを受けることになります。どの国で育っていても、どんなに恐ろしい罪を犯していても、イエス様の名による救いは、誰でも受けることができるのです。
 以上の6つのポイントが、福音の内容です。救いを受けて神様との平和に導き入れられ、永遠の命を持つために、受け入れなけらばならないことは、この福音です。
この福音に、私たちはどう応えるべきでしょうか。
イエス様をまだ信じていない方がいれば、ぜひ、イエス様を信じてください。神様は恵み深い方なので、あなたの罪を帳消しにするために、イエス様を十字架で死ぬために送ってくださいました。ぜひ、イエス様を自分の救い主として受け入れて、神様の赦しを受け取ってください。
    イエス様をもう信じている方には、この福音に対する二つの応答があると思います。まず、神様に感謝することです。神様があなたの罪を赦すために、最大の犠牲を払われました。自分の愛するみ子イエス様を捧げてくださいました。そして、あなたがまだ罪の中にいる時に、あなたに福音を伝えるために、あなたの元に誰かを送ってくださったのです。それは計り知れない恵みです。神様に感謝したいと思います。
    もう一つは、神様に従って、福音を宣べ伝えてください。あなたに福音を伝えてくれた人のようになってください。あなたの隣の人が必要としている福音を届けてください。神様のご計画は、あなたのようなクリスチャンを用いて、自分の愛と恵みを地の果てまで広げることです。
 お祈りしましょう。