先週の月曜日、家族で盛岡に行って、キャットの送別会に参加しました。他の3.11いわて教会ネットワークの牧師たちや宣教師たちと共に、キャットの8年間の奉仕を振り返ったり、キャットのために祈ったりしました。それはキャットがイギリスに戻る前に会える最後の時でした。
その夜、宮古に戻ってから妻と話しながら、キャットと一緒に宮古で働かなくなることがとても変な気持ちがしていました。この開拓が始まるためにキャットが大きな役割(やくわり)を果(は)たして、私たちも宮古に来てから、ずっとキャットと共に働いてきたからです。キャットがいなくなると、この教会開拓にどのような影響があるのでしょうか。キャットなしでこの開拓ができるんだろうかと思ったりもしました。
しかし、その時思い出したことは、この教会開拓がキャットや私たちの物ではなくて、神様の物だということです。これは神様の働きです。この開拓の頭は人間ではなくて、主イエス・キリストご自身です。
今日の箇所の中には、パウロの最初の宣教旅行の終わりの場面が出てきます。その宣教旅行の間に、パウロとバルナバはたくさんの教会を開拓しました。しかし、その教会開拓は私たちと同じように、大切な働き人がいなくなることを経験(けいけん)していました。パウロとバルナバはたくさんの教会を始めましたが、今日の箇所から分かるように、それらの教会はまだ若くて、まだまだ必要がたくさんありました。それなのにパウロとバルナバは、そこから離れてしまったのです。
この状況を見ると私たちは、パウロとバルナバなしには教会は生き残ることができないと思うかもしれません。しかし23節を見て下さい。
最後の部分で、断食(だんじき)して祈った後、彼らをその信じている主にゆだねた、と書いてあります。
この新しい教会のメンバーたちが信じていたのはパウロではなくて、主イエス様ご自身でした。そしてパウロとバルナバも、主イエスがこの教会を養(やしな)ってくださることを確信(かくしん)していました。彼らは忠実(ちゅうじつ)な働きを通して福音を伝えて、新しいクリスチャンにキリストの教えを教えました。そして長老(ちょうろう)たちを選んで、この教会を開拓(かいたく)しました。それからすぐに、遠くに去(さ)っていったのです。
しかし、これらの教会は自立(じりつ)する準備が本当にできていたでしょうか。これらの教会の状況を見ると、三つのハードルがあったと思います。その三つのハードルとは、
1. 教会のメンバー全員(ぜんいん)が新しいクリスチャンだった
2. 教会が迫害(はくがい)を経験していた
3. 教会の牧師たちもみな新しいクリスチャンで、専門(せんもん)の教育(きょういく)を受けていなかった。
今日はこの三つを見ながら、その問題を克服(こくふく)するために何が必要だったのかを考えてみたいと思います。
まず、教会のメンバー全員(ぜんいん)が新しいクリスチャンだったということについてです。パウロとバルナバの最初の宣教(せんきょう)旅行(りょこう)は2年間ほどでしたので、宣教旅行の終わる時点(じてん)で、その間に開拓した教会のメンバーは皆、クリスチャンになって2年以下(いか)だったことが分かります。しかも、パウロとバルナバはその2年間の間に、一つの町だけでなく、7つもの町で開拓していたのです。つまり、それぞれの開拓(かいたく)で彼らが過(す)ごしたのは数(すう)か月(がつ)ずつだったということです。パウロとバルナバは神様の力によって、ものすごいスピードでたくさんの教会を開拓しました。
使徒の働き14:19-20
パウロが石打ちにされた後、なにが起こったでしょうか。弟子たちがパウロを囲(かこ)んでいた、とあります。その弟子たちとは誰(だれ)でしょうか。彼らは、パウロとバルナバが伝えた福音を信じた、新しいクリスチャン達でした。パウロは数(すう)か月間(げっかん)リステラで福音を伝えて、新しいクリスチャンを教えましたが、迫害によってすぐ別の町に行かなければなりませんでした。
このリステラのクリスチャン達は、イエス様に関する知識を少しだけ受けましたが、イエス様を深く愛し信頼(しんらい)していました。その信仰によって、自分達の愛する教師たちを送り出したのです。
彼らが直面(ちょくめん)していた二つ目のハードルを見てみましょう。それは、この開拓された教会たちが迫害を経験していた、ということです。21-22節を見て下さい。
その地域に住んでいたクリスチャン達は、たくさんの迫害を経験していました。彼らが経験した迫害は、日本に住んでいるクリスチャンが経験することと似ている部分もあると思います。当時、その地域でクリスチャンになった人は、周りの人が礼拝していた神々を礼拝できなくなったり、宗教的(しゅうきょうてき)な祭りや集まりに参加できなくなったりしました。ですから、周りの人たちからは疑(うたが)いや疎(うと)ましさを持って見られていました。
日本人のクリスチャンの多くが、このようなことをよく経験(けいけん)していると思います。しかし、今日の箇所に出てくるクリスチャン達は、もっとつらい迫害も経験していました。パウロがリステラで石打ちにされたように、殺される恐れも経験していました。またローマ帝国、つまり政府からの保護(ほご)も受けられませんでした。
しかしこの若い教会、若いクリスチャン達は、そのような迫害を受けながらも、パウロの励ましを覚えて、神の国に入ることを目指(めざ)して歩んでいました。
この教会が直面した三つ目のハードルは、牧師たちも教育(きょういく)を受けていない新しいクリスチャンだった、ということです。23節を見て下さい。
パウロとバルナバが教会ごとに長老(ちょうろう)たちを選んだと書いてあります。当時は、牧師たちを長老と呼びました。初代(しょだい)教会(きょうかい)の時代には、地域(ちいき)教会(きょうかい)のリーダーは一人の牧師ではなくて、何人(なんにん)かの長老たちが教会を導く責任を共有(きょうゆう)していました。しかし、この箇所に出てきた長老たちは皆、新しいクリスチャンでした。パウロとバルナバは2年間の宣教旅行の間、まだ福音が宣べ伝えられていない町で働いたので、選ばれた長老たちも皆、クリスチャンになって2年も経(た)っていない人たちだったのです。また、その時代には神(しん)学校(がっこう)も存(そん)在(ざい)していなかったので、選ばれた長老たちは皆、専門(せんもん)の教育(きょういく)を受けていない人たちでした。また、彼らはフルタイムで牧師の働きをせずに、他の仕事をしながら教会の仕事をして、信徒(しんと)たちに教(おし)えました。つまり、この長老たちは普通のクリスチャンだったのです。
パウロとバルナバは教会のメンバーの中から、良い人格(じんかく)の人たちを選(えら)んで長老(ちょうろう)に任命(にんめい)しました。彼らは神様に信頼して、教会を導(みちび)く責任を引き受けました。
パウロとバルナバが開拓(かいたく)した教会の当時(とうじ)の状態(じょうたい)を見ると、二人(ふたり)が去(さ)ってしまうことは教会の存続をあやうくすることに見えたかもしれません。これらの教会のメンバーは皆、とても若いクリスチャンでしたし、激(はげ)しい迫害(はくがい)も経験していました。また、教育を受けたフルタイムの牧師もいませんでした。パウロとバルナバはどうしてこのタイミングで離れてしまったのでしょうか。
使徒の14:23を見て下さい。
パウロとバルナバが確信していたことは、この教会が主イエス様のものだということです。教会はパウロとバルナバの物ではなくてイエス様の物なので、これらの教会をイエス様に委(ゆだ)ねました。彼らはイエス様に信頼して、信仰によって教会を委(ゆだ)ねたのです。
私たちは多くの場合、永遠の命に関してはイエス様に信頼(しんらい)していても、今現在直面(ちょくめん)している問題のことになると不安(ふあん)になります。しかし私たちの信仰は、永遠のいのちに関することだけではなく、日常生活にも関するものです。毎日、小さな問題も大きな問題も、私たちの主イエス様にゆだねなければなりません。
先ほど、パウロとバルナバが開拓した教会が三つのハードルに直面していたことを見ました。それらの問題を克服(こくふく)するために、何が必要なのでしょうか。それは信仰です。
マタイの福音書21:21-22でイエス様はこう言われました。
「まことにあなたがたに言います。もしあなたがたが信じて、疑(うたが)わないなら、この山に向(む)かい、『立ち上がって、海に入(はい)れ』を言えば、その通りになります。あなた方は信じて、祈り求めるものは何でも受けることになります。」
これはすべての状況にあてはまる真理(しんり)ですが、教会に関することにおいては特に当(あ)てはまると思います。
マタイによる福音書16:18節でイエス様は
「わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません」と言われました。
パウロとバルバナは、イエス様のこのみことばを信じていました。イエス様がご自分の教会を建てて、守ってくださると確信していました。ですからその教会の人々を、彼らの信じている主にゆだねたのです。
私たちもパウロとバルバナのように、主イエス様が私たちを保(たも)ち養(やしな)ってくださることを信じているでしょうか。もし誰かが今の日本で、パウロとバルナバがしたようなやり方で教会を開拓したら、私たちはどう思うでしょうか。無責任(むせきにん)で良くないことだと思うのではないでしょうか。リステラの教会には長年(ながねん)クリスチャンだった人も、迫害から守ってくれる政府も、教育を受けたフルタイムの牧師もいませんでした。
この牧師の問題は、日本の教会が特に良く経験(けいけん)していることだと思います。多くの日本の教会は、教育(きょういく)を受けたフルタイムの牧師がいないままの状況に置(お)かれています。それは難しい問題ですが、パウロとバルナバは神様の知恵を通して、その問題を克服(こくふく)しました。
パウロとバルナバが理解(りかい)していたことは、教育は実は牧師に絶対(ぜったい)必要(ひつよう)な資格(しかく)ではない、ということです。専門的な教育を受けることは牧師の働きをする上でとても有益(ゆうえき)なことですが、必要なことではありません。パウロがテトスへの手紙1:5-9で、長老(ちょうろう)、つまり牧師の資格(しかく)を記(き)しています。
テトスへの手紙1:5-9
専門的(せんもんてき)な教育(きょういく)はこのリストに含(ふく)まれていません。教育(きょういく)を受けたかどうかより、人格(じんかく)のほうが重要(じゅうよう)視(し)されているのが分かります。教育も大切ですが、良い人格(じんかく)がなければ教育(きょういく)を受けることは無意味(むいみ)だからです。パウロの教会開拓の方法を見ると、今とは違う方法に見えます。パウロは地域(ちいき)教会(きょうかい)の信徒(しんと)たちの中から、牧師として奉仕(ほうし)するために、良い人格(じんかく)の持(も)ち主(しゅ)で、よく教えられる人たちを選びました。パウロが選んだ人は多くの場合、教育を受けていない人たちでした。しかし、牧師として任命(にんめい)された後、パウロはその人たちをそのままにしておくのではなく、手紙(てがみ)で励(はげ)ましたり、できるだけ訪(たず)ねたり、自分が弟子とした人を現地(げんち)に送ったりしました。
初代教会を見ると、多くの地域教会が、教育を受けていないパートタイムのリーダーが牧会(ぼっかい)している状況(じょうきょう)でした。しかしイエス様が弟子とした使徒(しと)たちが、地域(ちいき)教会(きょうかい)の牧師(ぼくし)たちを励(はげ)ましたり、手紙を書いたり、教えたりしました。地域教会で問題(もんだい)があった時には、使徒たちがその教会にアドバイスをしました。
私たち現在のクリスチャンも、この例に倣(なら)うことができると思います。もし私たち岩手の教会が、それぞれイエス様に信頼して、互いに励ましたりサポートしたりできるなら、すべての教会が教育を受けたフルタイムの牧師を必要としないかもしれません。地域教会が自分たちの中から、聖書に書かれている長老の資格(しかく)にふさわしい人を教会の仕事(しごと)をするために選び、その選ばれた人が、霊的(れいてき)に成(せい)熟(じゅく)して知識(ちしき)も豊富(ほうふ)な牧師(ぼくし)から励ましとアドバイスを受けるシステムも可能(かのう)だと思います。
しかし、このようなシステムが機能(きのう)するためには、信仰が鍵(かぎ)になります。教会のクリスチャン達がイエス様にしっかり信頼(しんらい)して、福音によって生活(せいかつ)を変(か)えていく信仰(しんこう)が必要です。信徒(しんと)たちが、神様が教会を導(みちび)く働(はたら)きのために自分をも用(もち)いてくださるという信仰を持つことが必要です。教育(きょういく)を受けたフルタイムの牧師たちが、地域教会をイエス様にゆだねて、専門的(せんもんてき)に神学(しんがく)の勉強(べんきょう)をしていない地域教会のリーダーを力づけて、サポートをする信仰(しんこう)を持つことが必要です。パウロの時代には、このような信仰(しんこう)を通して、神様がすごいスピードでたくさんの教会を生み出して福音が広がりました。初代教会のクリスチャンは、この世(よ)の常識(じょうしき)からいって必要だと思われることに依存(いぞん)する代(か)わりに、自分たちの信じている主にゆだねたのです。
私は、パウロと全く同じ方法で教会(きょうかい)形成(けいせい)をしなければならないとは思っていませんが、岩手県の教会のニーズを考えると、パウロとバルナバの戦略(せんりゃく)が私たちの状況に合っているかもしれないと思います。大切なことは、私たちが自分たちの信じている主にゆだねることです。私たちの主イエスに信頼しましょう。
私たち教会はイエス様に属(ぞく)していると信じていますか。イエス様が私たちを守(まも)って、私たちに霊的(れいてき)成長(せいちょう)を与えてくださることを信じていますか。イエス様が私たちにみこころを表して、何をすべきか分かるように知恵を与えてくださることを信じていますか。私たちが教会としてそのようなことを信じるなら、イエス様による信仰を通して、イエス様の体として成長(せいちょう)するのに必要(ひつよう)なすべてをもう持(も)っていると、私は信じています。