キリストを証しし続ける動機

使徒の働き22:1-15

ロビソン・デイヴィッド
2021年03月 7日

使徒の働き22:1-15
1「兄弟ならびに父である皆さん。今から申し上げる私の弁明を聞いてください。」2パウロがヘブル語で語り掛けるのを聞いて、人々はますます静かになった。そこでパウロは言った。
3「私は、キリキアのタルソで産まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。4そしてこの道を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせました。5このことについては、大祭司や長老会全体も私のために証言してくれます。この人たちから兄弟たちに宛てた手紙まで受け取って、私はダマスコへ向かいました。そこにいる者たちも縛り上げ、エルサレムに引いてきて処罰するためでした。
6私が道を進んで、真昼ごろダマスコの近くまで来た時、突然、天からのまばゆい光が私の周りを照らしました。7私は地に倒れ、私に語り掛ける声を聞きました。『サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』8私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』9一緒にいた人たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
10私が、『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられている』と。
11私はその光の輝きのために目が見えなくなっていたので、一緒にいた人たちに手を引いてもらって、ダマスコに入りました。
12すると、律法に従う敬虔な人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人たちに評判の良い、アナニアという人が、13私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ、再び見えるようになりなさい』と言いました。するとそのとき、私はその人が見えるようになりました。14彼はこう言いました。『私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。15あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。

 

 今日の箇所の直前の場面で、パウロはクリスチャンなら誰でも避けたい状況に直面していました。救いに導くために自分の証しをしようとしたら、相手を怒らせてしまったのです。実に彼らは、パウロを殺そうとしたぐらいパウロの言葉を不快に感じていました。これより悪い結果はないかもしれません。私たちも、相手が自分の語る言葉を不快に思うのではないか、という恐れによって、信仰の証しをすべきではないのではないかと思う時があります。相手を怒らせるぐらいなら、沈黙を保った方がいいと思う時もあります。使徒パウロもこのように感じたこともあると思いますが、今日の箇所では、彼は怒っている暴徒の前に立って、自分が言おうとしていることが彼らの怒りをもっと激しくさせると知りながら、大胆に福音を伝えました。なぜパウロはこの時、沈黙を保たなかったのでしょうか。その理由はとても単純なことだったと思います。それはパウロがユダヤ人たちを深く愛していて、彼らが救いを受ける事を深く望んでいたからです。
 パウロは、イエス様が死から復活したと完全に確信していました。そして、ユダヤ人たちが救いを受けるためには、イエス様に信頼しなければならないとも信じていました。パウロはこれらの確信に基づいて、相手を怒らせてしまっても、彼らを救うために、彼らが聞きたくない真実を伝えようと決めたのです。

ローマ人への手紙9:1-4
 私はキリストにあって真実を語り、偽りを言いません。私の良心も、聖霊によって私に対し証ししていますが、私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。私は、自分の兄弟たち、肉による自分の同胞のためなら、私自身がキリストから切り離されて、のろわれた者となってもよいとさえ思っています。彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。

 パウロは、ユダヤ人が救いを受けるためなら自分の救いを捧げてもいいとすら思っていました。パウロは今日の箇所で、ユダヤ人の間でとても物議を醸すことを語っています。多くの人は、そのような言葉は相手をイエス様に向かって引き寄せるのではなく、イエス様から遠ざけてしまうと思うでしょう。パウロがこの時語ったメッセージは、そのような悪い結果になったでしょうか。そう見えるかもしれませんが、実はパウロのメッセージのすべては、ユダヤ人をイエス様に向かって引き寄せるために慎重に考えられたものだったと思います。この短いメッセージを通してパウロは、イエス様は本当に復活されたので、イエス様こそがユダヤ人が待ち望んでいる救い主だという、説得力のある議論を提示しました。このメッセージから、四つの点を考えたいと思います。


1.使徒パウロはイエス様の福音の証人として信頼に値する人物だった。
使徒の働き22:1-5
1「兄弟ならびに父である皆さん。今から申し上げる私の弁明を聞いてください。」2パウロがヘブル語で語り掛けるのを聞いて、人々はますます静かになった。そこでパウロは言った。
3「私は、キリキアのタルソで産まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しく教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。4そしてこの道を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせました。5このことについては、大祭司や長老会全体も私のために証言してくれます。この人たちから兄弟たちに宛てた手紙まで受け取って、私はダマスコへ向かいました。そこにいる者たちも縛り上げ、エルサレムに引いてきて処罰するためでした。

 パウロより信頼できる証人はいなかったかもしれません。パウロがイエス様の復活について嘘をつく理由は、一つもありませんでした。パウロはかつて、その場にいたユダヤ人たちと同じように、熱心にユダヤ教の律法を守る人でした。ユダヤ教の中心の町エルサレムで育ち、その時代に一番偉い尊敬されていた学者だったガマリエルのもとで、先祖伝来の律法について、きびしい薫陶を受けました。その上、キリスト教がユダヤ地方で広がり始めた時には、他のユダヤ人の指導者たちと同じように、キリスト教は彼らの宗教を脅かすと考えていました。パウロはユダヤ教を守るために、他の指導者たちよりも熱心にキリスト教を迫害しました。彼は家から家をまわって、クリスチャンのリーダーたちを捕まえて投獄し、キリスト教の最大の敵になりました。
 しかし、そのパウロが今ユダヤ人たちの前に立って、キリスト教の福音を宣言したのです。当時パウロは、ローマ帝国全体の中でも最高のキリスト教弁証家として知られていました。昔のパウロを知っていたユダヤ人達は、彼のキリスト教に対する考えが180度変わったのはなぜなんだろうと不思議に思ったと思います。

 

2. パウロは自分の罪を告白した。
 この時パウロは、聴衆の怒りによってこのメッセージを最後まで語ることができませんでしたが、もしできたとしたら、イエス様を拒む罪を悔い改めなければならないということを語っていたかもしれません。パウロは、自分もイエス様を拒んだので、自分も悔い改めなければならないとはっきり言いました。彼は、自分は正しくてあなたたちは悪い人だと言うのではなく、自分も聴衆の一人一人も、皆が悔い改めなければならないと語りました。高慢な視点からではなく、謙虚な視点から語りました。パウロはイエス様の教会を迫害して、恐ろしい罪を犯しましたが、イエス様はパウロを赦されました。ですから、他のユダヤ人たちにも、イエス様を信じるなら赦しを得ることができると伝えたかったのだと思います。

 

3. パウロはイエス様の復活の直接の目撃者だった
使徒の働き22:6-11
 6私が道を進んで、真昼ごろダマスコの近くまで来た時、突然、天からのまばゆい光が私の周りを照らしました。7私は地に倒れ、私に語り掛ける声を聞きました。『サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』8私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』9一緒にいた人たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
10私が、『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられている』と。
11私はその光の輝きのために目が見えなくなっていたので、一緒にいた人たちに手を引いてもらって、ダマスコに入りました。

 ここでパウロは、自分がどのようにキリスト教に改宗したかを説明していす。それは奇跡を通してでした。パウロは、イエス様が殺された後に、生きているイエス様を見たと証ししたのです。このこと以外にはパウロをクリスチャンにさせることができたことはなかったかもしれません。パウロが、キリスト教の一番恐ろしい敵としてエルサレムから出発したすぐ後にクリスチャンになった理由は、これ以外にはないと思います。パウロの証しはとても驚くべき出来事で、当時のユダヤ人にイエス様が復活の力を持っていることを証しする出来事でした。それだけではなく、現代の人々に対しても、力のある証しだと思います。
 キリスト教に懐疑的な人でさえ、ほとんどすべての学者は、新約聖書のパウロの手紙を本物として受け入れています。つまり、パウロが実在したこと、キリスト教を迫害した後にキリスト教に改宗したこと、キリスト教の一番影響力のあるリーダーになったことなどは、歴史的事実として広く受け入れられています。また、パウロが復活されたイエス様を見たと主張したこと自体については、誰もそれに異議を唱えません。使徒パウロによる復活のイエス様の目撃証言は、パウロの時代にも現代においても有効なものです。私たち現代人は、なぜパウロのような人がキリスト教の迫害者から、キリスト教の弁明者になったかを考えなければなりません。パウロ本人の説明は、イエス様を見たから、ということでした。これ以上の説明は見つかっていないと思います。
 しかし、パウロが本当に復活されたイエス様を見たとしたら、当時のユダヤ人達も、キリスト教のすべての教えは正しいと受け入れることを意味していました。ユダヤ教の教えによれば、イエス様が本当に死から復活されたのなら、それが救い主であることの証拠となるのです。だからパウロは、ユダヤ人達に自分が見たことをすぐに伝えたかったのだと思います。しかし、ユダヤ人達はパウロのメッセージを受け入れませんでした。

 

4. パウロはユダヤ人に、彼らが自分の救い主を拒んだので、神様は異邦人に彼らの祝福を与えると伝えた。
使徒の働き22:17-21
17それから私がエルサレムに帰り、宮で祈っていた時、私は夢心地になりました。18そして主を見たのです。主は私にこう語られました。『早く、急いでエルサレムを離れなさい。わたしについてあなたがする証しを、人々は受け入れないから。』19そこで私は答えました。『主よ。この私が会堂ごとに、あなたを信じる者たちを牢に入れたり、むちで打ったりしていたのを、彼らは知っています。20また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私自身もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの上着の番をしていたのです。』
21すると主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く異邦人に遣わす。』と言われました。」

 パウロはイエス様を見た後、エルサレムに帰って、ユダヤ人たちにイエス様を見たと伝えることを願っていました。パウロは、自分もキリスト教を迫害した者だから、ユダヤ人たちが自分の証しを受け入れるはずだと思いました。しかしイエス様は、ユダヤ人は福音を聞き入れないから、異邦人に福音を伝えるために送り出すとパウロに伝えました。それは事実だったかもしれませんが、なぜパウロはこれを公にユダヤ人に言う必要があったのでしょうか。
 ユダヤ人にとって、それはとても不快な内容だったと思います。ユダヤ教の中心的な教えの一つは、神様がユダヤ人を救うために救い主を送ってくださるという教えです。その救い主が来ると、ユダヤ人を神様に対する正しい礼拝に導くのです。ユダヤ人は、自分達が神様に特別に選ばれた民で、異邦人は神様を知らず、神様の律法を守らないので、神様の裁きを受けるのだと信じていました。しかしパウロはユダヤ人に、彼らが救い主を拒んで、救いにふさわしくない者となったので、神様はユダヤ人に約束された救いを異邦人に与えるという内容を語ったのです。つまり、パウロは、ユダヤ人より異邦人の方が神様の救いに値する者だというようなことを言いました。これはユダヤ人たちにとって、衝撃的な内容でした。
 ここでちょっと考えてみてください。パウロはこの時これを言わなければならなかったのでしょうか。そのことを言わずに、福音を正しく説明することはできなかったのでしょうか。それはできたと思います。しかし、パウロの目的は福音を説明するだけではなく、ユダヤ人達の心の奥底にまで届くことでした。パウロは、ユダヤ人が福音を理解するだけでなく、福音を心から信じて、罪を悔い改め、深く望んでいた救い主を受け入れることを望んでいました。
 そのために、この点はとても大切な点でした。相手の心を動かすことができる点でした。

ローマ人への手紙11:13-14
13そこで、異邦人であるあなたがたに言いますが、私は異邦人への使徒ですから、自分の務めを重く受け止めています。14私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。

 ここでパウロは自分の戦略を明らかにしています。パウロはいつもユダヤ人に対して語る時、救い主が彼らではなくて異邦人に受け入れられていると、わざわざ伝えました。ユダヤ人を救うために、彼らに妬みを起こさせようとしていたというのです。パウロはユダヤ人の心は福音に閉ざされていると確信していたので、心を動かすために妬みを使おうとしました。それはとても不思議な方法だと思います。多くの場合は妬みはとても悪い感じがしますが、良い結果に導く時もあるということです。
 例えば、親が子どもを教えるために、時々妬みを使うと思います。他の子どもが良いことをして報いを得るのを見て、親は自分の子どもに、ほら見て、あの子はとっても立派なことをしてご褒美をもらったよ。あなたも同じようにすると、ご褒美をもらえるよ、と言ったりすることがよくあります。パウロはこれと同じように、ユダヤ人がイエス様を信じて罪から悔い改めるように、異邦人が自分に約束された報いを受けていると示して、ユダヤ人に妬みを起こさせました。パウロは、ユダヤ人のうちの一人でも、異邦人の祝福を見て妬みを感じて、なぜ神様が異邦人を受け入れて祝福を与えるのかを考えさせ、それを通して福音について考え始めるようになることを狙っていたと思います。これは変わったやり方に思えますが、パウロはユダヤ人がイエス様を受け入れるのを心から切望していたので、どんな手を使ってでも心を動かそうとしたのかもしれません。

 多くの場合、イエス様のために証しをするのは、クリスチャンにとって一番難しい責任の一つに見えると思います。相手を怒らせたり、気分を害したりする恐れがあるからです。しかし、今日の箇所で見たパウロのユダヤ人たちに対するメッセージを通して、証しをする二つの動機が見えてくると思います。一つは信仰です。パウロがイエス様について語った理由は、イエス様が本当に救い主で、死を支配する力を持っておられると確信していたからでした。私たちも信仰を通して、イエス様が本当に世界の救い主で、本当に罪のために死なれて、本当に復活して、死に打ち勝たれたと信じています。また私たちは、イエス様の名を通してでなければ人が救われないことを信じています。私たちがこのような信仰を持っているなら、周りの人にイエス様について伝える十分な理由があります。
 二つ目の動機は愛です。パウロが同胞のユダヤ人を深く愛したように、私たちも周りの人を愛して、彼らがイエス様による希望と救いを受けるようになることを深く望んでいます。私たちはクリスチャンではない人を見ると、彼らの神様との関係、罪による危険に対する不安を持ちます。私たちもまた彼らと同じように、かつては神様の怒りに直面していた者として、相手を裁くのではなくて愛を通して見ることができます。
 私たち一人一人が、イエス様を通して与えられる素晴らしい救いについて語る機会を、喜んで楽しみにするぐらい、イエス様による信仰に満たされますように、祈りたいと思います。また、私たちが周りの人に対する愛に満たされて、愛を通して福音をはっきり伝えることを恐れなくなりますように。そして私たちを通して多くの人が、私たちの素晴らしい救い主イエス様に出会って、救いと新しいいのちを受けることができますように、祈りたいと思います。