気づいていなくても必要なもの

使徒の働き 26:1-29

ロビソン・デイヴィッド
2021年05月 2日

使徒の働き 26:1-29

 1アグリッパはパウロに向かって、「自分のことを話してよろしい」と言った。そこでパウロは、手を差し出して弁明し始めた。2「アグリッパ王よ。私がユダヤ人たちに訴えられているすべてのことについて、今日、王様の前で弁明できることを幸いに思います。3特に、王様はユダヤ人の慣習や問題に精通しておられます。ですから、どうか忍耐をもって、私の申し上げることをお聞きくださるよう、お願いいたします。4さて、初めから同胞の間で、またエルサレムで過ごしてきた、私の若いころからの生き方は、すべてのユダヤ人が知っています。5彼らは以前から私を知っているので、証言しようと思えばできますが、私は、私たちの宗教の中で最も厳格な派にしたがって、パリサイ人として生活してきました。6そして今、神が私たちの父祖たちに与えられた約束に望みを抱いているために、私はここに立って、さばかれているのです。7私の十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいを望んでいます。王よ。私はこの望みを抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。8神が死者をよみがえらせるということを、あなたがたは、なぜ信じがたいこととお考えになるのでしょうか。9実は私自身も、ナザレ人イエスの名に対して、徹底して反対すべきであると考えていました。10そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を受けた私は、多くの聖徒たちを牢に閉じ込め、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。11そして、すべての会堂で、何度も彼らに罰を科し、御名を汚すことばを無理やり言わせ、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを迫害していきました。
 12このような次第で、私は祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいましたが、13その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。14私たちはみな地に倒れましたが、その時私は、ヘブル語で自分に語り掛ける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒をけるのは、あなたには痛い。』15私が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、主はこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。16起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。17わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らの所に遣わす。18それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』
 19こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、20ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。21そのために、ユダヤ人たちは私を宮の中でとらえ、殺そうとしたのです。22このようにして、私は今日に至るまで神の助けを受けながら、堅く立って、小さい者にも大きい者にも証しをしています。そして、話してきたことは、預言者たちやモーセが後に起こるはずだと語ったことにほかなりません。23すなわち、キリストが苦しみを受けること、また、死者の中から最初に復活し、この民にも異邦人にも光を宣べ伝えることになると話したのです。」
24パウロがこのように弁明していると、フェストゥスが大声で言った。「パウロよ。おまえは頭がおかしくなっている。博学がおまえを狂わせている。」25パウロは言った。「フェストゥス閣下、私は頭がおかしくはありません。私は、真実で理にかなったことばを話しています。26王様はこれらのことを良くご存じですので、その王様に対して私は率直に申し上げているのです。このことは片隅で起こった出来事ではありませんから、そのうちの一つでも、王様がお気づきにならなかったことはない、と確信しています。27アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」
 28するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。29しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたがたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」

 

 今日は、アグリッパ王の前でのパウロの弁明を見ていきます。これは、使徒の働きに記録されているパウロの最後のメッセージであり、ある意味では使徒の働きのクライマックス・シーンとも言えます。パウロは、フェストゥス総督、アグリッパ王、その妻たち、そしてユダヤ人社会とローマ人社会の著名な指導者たちの前で、最後の弁明をします。パウロは、この機会に力強く福音を宣べ伝え、有力者たちをキリスト信仰へといざなっています。

 この機会はどのようにして生まれたのでしょうか。前回学んだように、パウロは、ユダヤ教の指導者たちが彼を不当に告発した様々な罪で裁判を受けていた時、自分の訴えをカエサルに訴えるという苦渋の決断をしました。フェストゥスは、パウロを保護していたローマの法律を守ることと、ユダヤ人指導者たちを喜ばせることとの間で板挟みになっていましたが、ユダヤ人指導者たちを怒らせることなく、ローマの法律に違反することもなく、パウロを排除するチャンスが得られると、パウロの要求を喜んで受け入れました。しかし、パウロの訴えはフェストゥスにとって厄介な問題となりました。正当な理由がなければパウロをカエサルのもとに送ることはできないし、パウロは実際にローマの法律に違反したわけではなかったからです。フェストゥスは、パウロが訴えられていることをどのようにしてカエサルに説明すればよいのか、困惑していました。

 パウロが訴えを起こしてから数日後、アグリッパ王がパウロを訪ねてきました。アグリッパは、イエス様がお生まれになった時の王であったヘロデ大王のひ孫にあたります。アグリッパはこの頃、カエサルから王の称号を与えられ、フェストゥスの領地の隣の領地を与えられた所でした。アグリッパはユダヤ人の血を引いており、ユダヤの宗教や政治にも造詣が深かい人物でした。そのため、フェストゥスは、パウロの件についてアグリッパの意見を聞きたいと思っていました。アグリッパもパウロの話を聞きたがっていたので、フェストゥスは翌日パウロを連れてくるように手配しました。

 このような背景の中、使徒の働きの中でも最もドラマチックな場面の一つが繰り広げられることになったのです。

 

使徒の働き25章23節
 翌日、アグリッパとベルニケは大いに威儀を正して到着し、千人隊長たちや町の有力者たちとともに謁見室に入った。そして、フェストゥスが命じると、パウロが連れて来られた。

 

 舞台となったのは、カエサリアにあった、アグリッパの曽祖父であるヘロデ大王の宮殿です。この宮殿は、当時としては最も豪華で印象的な建物の一つでした。地中海沿岸に建てられた、白く輝く美しい建物で、三方を海に囲まれるように海に突き出ていました。歴史家のヨセフェウスは、この建物をこのように表現しています。

「王の宮殿は、あらゆる説明が不可能で、実際、贅沢と設備において、これを超える建物はなかった。」

 ヘロデ大王の死後、彼の王国は分割され、カエサリアはローマの支配下に置かれました。カエサリアにあったヘロデの宮殿も総督たちに譲渡され、この時にはフェストゥスの住居となっていました。この壮麗な宮殿の大広間に、王服に身を包んだアグリッパ王が、妹のベルニケを従えて、華やかに入場してきたのです。彼らの周りには軍隊や街の有力者たちが集まっていました。彼の派手な到着は、富と権力を誇示するものでした。全員が集まって席についた後、フェストゥスはパウロを連れてくるように命じます。

  それは印象的な光景であったと思います。みすぼらしい服を着て、手足を鎖で縛られた一人の男が、史上最高の宮殿の大広間に立ち、立派な衣装を着た王族たちの前で、地域のリーダーや軍人たちなど大勢の側近に囲まれていたのです。観客の多くは、パウロを哀れみの目で見ていたに違いないと思います。また、軽蔑のまなざしで見ていた人もいたでしょう。パウロは鎖につながれて、民衆からも嫌われ、ローマの秩序にとって厄介な存在として見られていました。一方で、聴衆は当時最も裕福で力のある男女で占められていました。

 しかし、パウロは、この誇り高い権力者たちの前で最後の弁明をしたとき、最後にアグリッパ王自身に向けて、信じられないような大胆な発言をしました。

 

使徒26:27-29

27「アグリッパ王よ、王様は預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」28するとアグリッパはパウロに、「おまえは、わずかな時間で私を説き伏せて、キリスト者にしようとしている」と言った。29しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたがたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が、この鎖は別として、みな私のようになってくださることです。」

 

 驚くべきことに、パウロは、そこにいたすべての人が、自分の立場であってほしいと言ったのです。パウロは、自分が特権的な立場にあると考えていました。彼はキリストを通して、裕福で影響力のある人々の誰もが持っていないものを見つけたのです。パウロは、自分の立場が周りの人たちよりもはるかに優れていると考えていました。そして、パウロはキリストと関係を持っていることに誇りや優越感を感じるのではなく、愛とあわれみの心を持って、自分がキリストに見出したのと同じ希望を、彼らが受け取ることをただ望んでいたのです。

 アグリッパ王をはじめ、集まった人々が、自分と同じようにキリスト教徒になることを神に願ったパウロの言葉は、使徒の働きのクライマックスです。ルカが使徒の働きにこの出来事を記録した目的は、この書物を読むすべての人に、クリスチャンになるチャンスを与えることだと思います。それは、他の人々が、キリストを通して私たちと同じ喜びと希望を見出し、私たちと同じように、私たちの正当な王としてキリストを礼拝し仕えるようになることを意味します。

 この箇所でパウロは、クリスチャンになるとはどういうことなのか、なぜ誰もがクリスチャンになることが望ましいのかを明確に示しています。まず、自分がどのようにしてクリスチャンになったのか、自分自身の証しを語っています。パウロは、ダマスコへの道で幻(まぼろし)の中のキリストを見て、彼の大使になるように命じられたことを語っています。18節では、パウロは幻の中で自分に語られたイエスの言葉を伝えています。

 

使徒26:18

「18それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。」

 

 ここには、キリストが与えてくださる希望がはっきりと宣言されています。この希望は、パウロが聴衆全員に受け取ってほしいと願っているものでした。キリストによる救いがもたらすものについて、少し考えてみましょう。

 まず、パウロは異邦人の目を開くために遣わされました。パウロ自身の目も、かつては閉ざされていました。彼は、キリストが自分の民に約束された救い主であることを理解せず、それどころか、キリストに従う者をすべて滅ぼし、キリストの教えを抑え込もうとしました。彼は、イエスが神によって遣わされ、死からよみがえられたという真実を受け入れようとはしませんでした。しかし、キリストご自身が彼に現れ、これらのことが真実であることを証明し、さらに、他の人々が真実を信じることができるように、自分が見たことを世に伝えるようにと彼を遣わしたのです。

 第二に、イエスはなぜ人々が目を開かなければならないかを語っています。それは、人々が暗闇から光へ、サタンの力から神の力へと立ち返るためです。イエス様が現れたとき、マタイの福音書4章16節で、マタイは次のように書いています。

「闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る」。

 

 キリストが来る前は、全世界が暗闇の中にあり、人間は自分の罪や神の必要性に気づくことができませんでした。人間は自己中心的な欲望に溺れていました。しかし、イエス様が来られて、神様の愛を見せてくださり、新しい人生を送る道を示してくださいました。イエス様は、私たちの目的が何であるか、どうすれば神様の前で義とされるかを教えてくださいました。パウロはカエサリアの宮殿の中に立ったとき、富と権力と名声への欲望に目を奪われていた人々を見ました。パウロにとって彼らは、闇の中に生きており、キリストの光を見なければならない人々でした。

 それだけではなく、パウロは彼らが、神と人の敵であるサタンの力の下で生きていることを見抜いたのです。サタンは人を騙し、神に反抗するように仕向けるためにやってきます。サタンの力の下にいる人たちは皆、破滅と永遠の罰に向かって導かれています。しかし、イエス様はサタンの力から解放され、神の力の下に置かれる方法を示しておられます。それは、キリストが私たちの国籍を変えて、神の栄光の王国の一部になる機会を与えてくださっているということです。神の願いは、ご自分の民に命を与え、守り、育てていくことです。サタンの願いはただ殺し、破壊することです。

 最後にパウロは、イエス様の願いは、異邦人が罪の赦しを受け、イエス様を信じることによって聖なる者とされることだと宣言しました。パウロの聴衆が気づいていなくても、赦しは彼らにとって最も必要なものだったのです。彼らは、すべての財産よりも、神に対して犯したすべての罪を神に赦されることを必要としていました。最終的には、イエス様に信仰を置く人は、これらすべてのものを受け取り、イエス様が聖別されたすべての聖徒の中に加えられることになります。

 イエス様は全く新しい人生を与えようとしてくださっています。それは新しい目的に満ちた人生、光と真理に満ちた人生です。誰もがイエス様の王国の一部となり、イエス様の民の一部となる道を示しておられるのです。これは、以前は選ばれた民、つまりイスラエルの人々にのみ与えられたものでした。しかし、今、神はキリストを通して、すべての人が救いを受けられるように扉を開いてくださったのです。

 パウロの願いは、この日、彼の話を聞いたすべての人が、鎖につながれていること以外において、自分と同じようになることでした。パウロは、自分の話を聞いたすべての人が、救いのすべての報酬と喜びを受けることを望んでいました。パウロは、彼らが、罪がもたらす神の怒りから免れることを望んだのです。

 これらのことを考えるとき、私たちが心に留めておくべきことは2つあると思います。第一に、もし私たちがすでにキリストからこれらの祝福を受けているならば、喜びと感謝の気持ちでいっぱいになるべきです。キリストが私たちの目を開き、暗闇から光へと導いてくださったなら、サタンの力から救い出して神の元に引き戻してくださったなら、赦しと神の民の中での居場所を与えてくださったなら、私たちはそのことのためにキリストを賛美し、愛するべきです。主と共に歩み、主の真理を見ることがどれほど喜ばしい特権であるかを認識すべきです。キリストをいただくことは、最も裕福な王よりも大きな報酬を与えられることなのです。

 第二に、私たちは自分の周りにいるすべての人に、キリストを知るという同じ喜びと特権を経験してもらいたいと思うべきです。パウロやすべての使徒たちのように、私たちは周りの人々をキリストに導きたいという深い願いで満たされるべきです。私たちは、すべての人が私たちのように、キリストを知り、キリストに従い、キリストによって祝福されるようになることを神に祈り続けたいと思います。