御霊のはたらき

使徒の働き1:4-11

ロビソン・デイヴィッド
2019年02月17日

先週、神様の素晴らしい恵みについて、また、どうやって私たちが救われたのかについて学びました。それは、罪びとである人間が神様を拒み、神様の愛に値しなかったのにも関わらず、神様が恵みによって私たちを救ってくださったということでした。神様は自分の愛する子であるイエス様を私たちの代わりに死ぬためにこの世界に送り、その犠牲を通して、私たちの罪を赦してくださいました。また、神様が私たちを救ってくださったのは、神様があらかじめ備えた良い行いをするためであることも学びました。つまり神様には、私たちを救うことに、とても具体的な理由があったんです。今日考えたいことは、では私たちが救われた目的は何かということです。私たちは救われた後、何をするべきなのでしょうか。どのように神様がクリスチャンに与えておられる目的を達成できるのでしょうか。このことを理解するためにイエス様の最初の弟子について学びたいと思います。
使徒の働き1:4-11
この場面はイエス様が復活されたあと、ご自分の姿を弟子たちに現した時の場面です。イエス様はご自分が救い主で、神様の御子であることを証明しました。弟子たちはこの時、イエス様がこれから一体何をするんだろうと考えていました。すぐに世界の王様になるのだろうか、と期待していました。しかしイエス様の計画はまったく違うものでしたね。イエス様の計画は、ご自分は弟子たちを去って天にのぼること、そして弟子たちが世に残って、
キリストの働きをするということでした。しかしイエス様は、弟子たちを見捨てたのではありませんでした。イエス様は弟子たちに御霊を送って、ご自分が与えた目的を達成する力を与えると約束されました。
御霊は、神様が私たちに与えて下さるもっとも大切な賜物です。その理由は、御霊を与えるというのは神様がご自身を与えるのと同じことだからです。御霊は三位一体のメンバーなので、イエス様が御霊を送るといった時、実は、神様ご自身が弟子たちの心の中に生きるという意味でした。これよりも素晴らしい賜物があるでしょうか。イエス様も三位一体のメンバーなので、弟子たちは3年の間、イエス様、つまり神様と一緒に歩みました。アダムとエバがエデンの園で神様と散歩したように、弟子たちも、イエス様の地上の歩みの中で、み子なる神様と一緒に歩いたり、会話したり、学んだりしました。弟子たちと神様との関係は、アダムとエバ以来、もっとも親しいものでした。しかし、イエス様は復活のあとすぐに弟子たちから去っていかれたんです。弟子たちにとっては、残念で心細いことではなかったでしょうか。しかし去られるまえにイエス様は、自分が去ることは弟子たちにとって実はいいことなのだとおっしゃいました。
ヨハネの福音書16:7
イエス様がここで言っていることは、御子なる神様の隣で一緒に歩くより、御霊なる神様が心の中に住んでくださることのほうが良いということです。御子なるイエスさまは外側から弟子たちに話しかけましたが、御霊なる神様は内側から弟子たちの心を形作ってくださいます。つまり、イエス様が去ることによって、弟子たちは神様と もっと近い関係になったということです。
数週間前に、人間が創造された目的について学びましたが、その目的の一つは、人間は神様と深い関係を持つために創造された、ということでした。アダムとエバが罪を犯す前に神様と持っていた関係は、とても直接的で深い関係でしたね。しかし今日私たちが感謝を持って覚えたいことは、実は今、私たちクリスチャンが持っている、御霊を通じての神様との関係は、アダムとエバが罪を犯す前の神様との関係より、もっと近いものだということなのです。イエス様の働きを通じて、神様は創造の素晴らしい目的を達成されました。私たちの罪が神様の計画を阻むことはありませんでした。
また、神様がみ言葉を通して、クリスチャンが何をするべきなのか、どうやって生活するのかを具体的に示してくださったので、私たちは神様のご計画をもっとはっきり見ることができます。
使徒の働き1:4-5に戻りましょう。
イエス様は弟子たちに、エルサレムを離れないで、聖霊によるバプテスマを待つように言いました。
聖霊によるバプテスマというのは聖霊を心の中に受けることです。イエス様はその前に、弟子たちをこれから世界に送りだすと言いましたが、この場面では、聖霊を受けるまではその働きを始めてはいけないとおっしゃったのです。聖霊がないなら、その働きは必ず失敗するからです。なぜでしょうか?
イエス様の働きを達成するために聖霊が必要な理由は二つあると思いますので、今日その二つのポイントを考えたいと思います。
1.聖霊は、私たちをイエス様に似た者に変えてくださる。
2.聖霊は私たちに、まわりの人がイエス様に似た者になるのを助ける力を与えてくださる。
まず、どうやって聖霊がクリスチャンをイエス様に似た者に変えてくださるのかを考えたいと思います。
ローマ人への手紙8:29には、神様があらかじめ知っておられる人々を、み子の形と同じ姿にあらかじめ定められたと書いてあります。これは聖霊の働きです。先日学んだように、私たちは以前は罪びとで、イエス様とまったく似ていない者でした。しかし、神様は私たちの罪を許し、私たちの心を変えて、きよくしてくださり、神様を愛することを教えてくださり、自分の愛に値する者にしてくださいました。
そのようにしてクリスチャンになった私たちが生きる目的は、毎日少しずつイエス様に似た者になることです。
ローマ人への手紙8:5-11
御霊が私たちをイエス様に似た者にさせてくださる一つ目の方法は、私たちの心の中の考えや欲望を変えてくださることです。ここでパウロが言っている、クリスチャンとクリスチャンではない人との違いの一つは、クリスチャンでない人は肉的なことをもっぱら考えますが、クリスチャンは御霊に属することをひたすら考えるということです。そしてその御霊に属することをひたすら考える力というのは、御霊が私たちの死ぬべき体を生かしてくださったことによって与えられたものです。つまり、御霊の働きはまず、私たちの心の中に新しい考え方や、新しい欲望を与えることから始まります。クリスチャンになった人は霊的なことを慕い求め、罪を憎むようになるのです。
クリスチャンになる前は、悪を行うことで喜びを得ていましたが、クリスチャンになると、御霊が心を変えてくださるので、神様の命令を愛するようになります。神様に従って、神様に近づくことが喜びになります。私たちの心が、自分のことより、神様のこと、神様のみことばや、神様に与えられた目的のことを考えるようになるのです。また、周りの人に対する愛においても成長し、神様が自分の人生だけではなくて、周りの人の人生の中でも働くのを望むようになります。
ガラテヤ人への手紙5:19-25
御霊が私たちをイエス様に似た者にしてくださるの二番目の方法は、私たちの行いを変えてくださることです。先日罪について学んだ時、罪のみなもとは人間の心であることを学びました。人間の悪い行いは人間の心から出てくるものです。しかし、御霊が心に入ってくださると、御霊が私たちの心を新しくして、良い欲望を与えてくださるので、そこから出てくる私たちの行いも変わり始めます。
この箇所では肉の行いと御霊の実との違いを見ることができます。御霊は私たちの人生の中に働いて、キリストのように考え、キリストのように行動できるように助けてくださいます。御霊の助けがないなら、そのようなことは無理です。御霊が私たちの内におられないなら、自分の罪に捕らえられて、神様の愛に対して死んだ者のようになるからです。しかし御霊が私たちの心を変えてくださる時、愛、喜び、平安、寛容、親切、誠実、柔和、自制が満ちている人生に私たちを導いてくださいます。
ここまで見てきたように、聖霊は私たちが神様を喜ばせる生き方をするために、また私たちが神様との関係の中で喜ぶために、私たちの心と行いを変えてくださいます。そのようにして、聖霊は、私たちをイエス様に似た者に変えてくださるのです。しかし聖霊が与えられた理由はそれだけではありません。
聖霊のもう一つの働きは、他の人がイエス様のようになるのを助ける力を私たちに与えてくださる働きです。これが今日の2番目のポイントです。
使徒の働き1:8
ここでイエス様は弟子たちに、聖霊を受けてから何をするべきかを伝えました。それはエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てまで、イエス様の証人となることでした。つまり、聖霊を与える理由の二つ目は、イエス様の働きに参加する力を与えるということです。この働きについては、イエス様はすでに教えておられました。
マタイによる福音書28:19-20
使徒の働き1:8でイエス様が、弟子たちが地の果てまで、ご自分の証人になるとおっしゃった意味は、ご自分の証人として、世界中でイエス様の弟子を作るという意味です。
イエス様の弟子を作るというのはどういうことでしょうか。マタイ28:19-20で、イエス様がこれを説明しています。イエス様の弟子を作る最初のステップは、まず、父、子、聖霊のみなによって、バプテスマを授けるということです。バプテスマは誰かがイエス様を信じてから授けることなので、もちろん、バプテスマを授ける前に伝道しなければなりません。二番目のステップは、イエス様が命令したすべてのことをを守るように、
彼らを教えることです。つまりこの大宣教命令は弟子を作りなさいという命令ですが、その意味は、行って、人々にイエス様の福音を伝えて救いに導き、バプテスマを授けて、イエス様に似た者になるように教えるということです。
    このことに関してよくある間違った考え方は、イエス様が弟子を作りなさいと言ったのは、普通のクリスチャンに対する命令ではなくて、使徒たちに対する特別な命令だ、ということだと思います。そして現代の教会にあてはめると、この弟子を作る働きは信徒ではなく、牧師や、伝道師、宣教師のような、「先生」と呼ばれる人の働きだという考えになります。普通、弟子を作るというのは、先生がすることですね。だから、このような考えになるのは自然なことです。しかしこのような考え方は聖書の教えていることとは違います。聖書の中で弟子を作るというのは、他の人に自分の知恵を教えて、自分に習わせるのではなくて、イエス様のようになることを教えることです。そのような素晴らしい働きをできるのは誰でしょうか。使徒ですか。牧師ですか。いや、実は、それは神様だけですね。それは人間にできることではありません。では、聖書は人間の中の一体誰に、この働きを命じているんでしょうか。使徒の働き1:4もう一度読んでみましょう。
どうしてイエス様はこの使徒たちにこの働きを任せたと思いますか。彼らがとても学のある人達だったからですか。それとも、とても霊的な人だったからですか。使徒の働き1:4によれば、
彼らが弟子を作る働きをするために必要だったのは、たった一つのことでした。それは聖霊を心の中に受けることです。この使徒たちが弟子を作る働きにふさわしい理由は聖霊を受けたということだけです。まだ使徒たちが聖霊を受けていない時、イエス様は、何もしないで待ちなさい。私が与えた働きを始めてはいけない、と命令されました。聖霊がいなくては、必ず失敗するからです。しかし、聖霊を受けてから、何が起こりましたか。
使徒の働き2:36-41
ペテロは、聖霊を受けてからたったの数時間後には、3千人をイエス様に導きました。信じられないことです。しかしそれはペテロの能力とはまったく関係なく、ただただ聖霊の働きでした。伝道をしたり、他の人をイエス様に従うように教えたりするために必要な資格は、聖霊を受けること、ただそれだけです。
聖霊を受けたすべての人は、この働きをするために聖霊から力をいただきましたので、その働きに参加する責任も与えられています。では、誰が聖霊を受けるのでしょうか。ペテロが言ったことを見てください。使徒の働き2:38.クリスチャンになると、賜物として聖霊を受けると言っています。つまり、誰でもクリスチャンになると、ペテロが受けたのと同じように聖霊を受けるのです。そしてその聖霊から、ペテロが受けた力と同じ力を受けて、ペテロと同じように弟子を作る召しをも受けることになります。
これは神様がご自分の福音と救いを全地に広げるためのご計画です。そのご計画は、少数の特別な人に力を与えて、その人達を全地におくることではなくて、すべてのクリスチャン、つまり大勢の人に聖霊を与えて、その聖霊によって、近い人、また遠い人にも、弟子を作る力を与えることです。また、誰かが新しくクリスチャンになると、その人も弟子を作る力と責任を受けて、イエス様の働きに加わることになります。そのようにしてすべてのクリスチャンがイエス様の働きに加わるなら、クリスチャンは足し算ではなく、掛け算で増加することになりますね。神様の知恵は素晴しいです。
イエス様の大宣教命令に参加することはクリスチャンの生活の中心です。私たちは、多くの場合、クリスチャンになるということ自体が長い旅の終わりのような物と思うかもしれません。
私は岩手山を登ったことが2回あります。最初に登った時を良く覚えていますが、近藤先生とドイツからの4人の若者と一緒に登りました。岩手山のふもとに看板があって、頂上は4キロ先と書いてありました。4キロだったらそんなに遠くないと思って、楽しく歩き始めました。最初は簡単に歩ける道でしたが、すぐにけわしくなっていきました。私はすぐに疲れてしまいましたが、他の人たちが早くて、一人になりたくなかったから、あまり休憩しませんでした。4時間ぐらいで頂上に着いた時、
私は疲れきっていましたが、その頂上からの景色はとてもうつくしくて、岩手県が全部見えるように感じました。きつい道のりでしたが、とても意義のある経験だったと思います。
クリスチャンになるというのは、高い山の頂上に着くような経験だと思う人は多いかもしれません。クリスチャンになる前の人生の中にけわしい道があって、きついこともたくさんありましたが、イエス様に出会って、正しいことが見つかった、ハッピーエンドのような感覚です。しかし、じつはクリスチャンになることは旅の終わりではなくて、新しい旅の始まりですね。クリスチャンになったあと、私たちは神様から色々な召しを受けます。神様の道には険しい所があるはずですが、とても意義のある道です。内に住んでくださる聖霊と一緒に歩む道です。これこそ、一番幸せな人生ではないでしょうか。