神様の奇跡を経験するために

使徒の働き19章

ロビソン・デイヴィッド
2021年01月24日

 

 皆さんは、聖書を読んでいる時、神様が命令されたことをするのは無理だ!と感じたことがありますか。例えば、ペテロの手紙第一1:15で、こういうことが言われています。

 あなた方を召された聖なる方に倣い、あなた方自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

 生活のすべてにおいて聖なる者となる、というのは無理ではないでしょうか。また、イエス様はマルコの福音書8:34で、こう言われています。

 だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従って来なさい。

 自分を捨てる、なんてことも無理なことではないでしょうか。イエス様が私たちに与えられた大宣教命令を考えても、無理な話しに思えます。私たちが自分の力でこのようなことをするのは無理でしょう。これらのことはすべて、人間の力ではできないことです。しかし神様の超自然的な力によって、私たちは神様に命令されたことや、イエス様から与えられた働きを、すべてできるようになります。


 今日の箇所の中で、神様が超自然的な方法で働かれていることがはっきり見えると思います。使徒パウロがエペソの教会を開拓していた時、神様が超自然的に働かれ、ご自分の力を表して多くの人を救いに導かれました。

 エペソの教会は、使徒パウロがもっとも愛した教会の一つになりました。パウロは三回の宣教旅行の間に、いくつかの町で教会開拓をしましたが、多くの場合は迫害によって、それぞれの町で数ヶ月しか働くことができませんでした。しかし、神様の恵みによって、パウロはエペソで3年間にわたって教会を建て上げ、たくさんの人に福音を伝えました。エペソはとても影響力のある街でしたので、パウロの働きの結果、アジアに住む人々は、ユダヤ人もギリシャ人もみな、みことばを聞くことになりました。パウロは三年間の奉仕の中で、エペソのクリスチャンを深く愛するようになり、後(のち)にエペソの教会を励ますために、聖霊の導きによってエペソ人への手紙を書きました。

 神様は、エペソでご自分のご計画を達成するために、パウロを用いて超自然的に働かれました。使徒の働き19章には、神様の超自然的な力を表した四つの場面が記録されています。

 

1. 神様がイエス様を信じる人に、聖霊を与えられた。

使徒の働き19:1-6
 アポロがコリントにいた時のことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子たちに出会った。彼らに「信じた時、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです」と答えた。そこでパウロは言った。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」これを聞いた彼らは、主イエスの名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。

 

 これはとても興味深い場面だと思います。パウロはクリスチャンだと思った人々に出会いましたが、実は、イエス様のことについてあまり良く分かっていなくて、聖霊も受けていませんでした。この人達はバプテスマのヨハネの弟子だった人達でした。彼らはヨハネの働きの最初の頃イスラエルにいて、ヨハネからバプテスマをうけましたが、イエス様が現れる前にイスラエルから出かけて、エペソに行っていたのかもしれません。

 真のクリスチャンの印の一つは、聖霊を受けていることです。イエス様は、イエス様を信じると告白する人の多くは、実はイエス様のものではないとおっしゃいました。

マタイの福音書7:21-23
 わたしに向かって「主よ、主よ」と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には多くの者がわたしに言うでしょう。「主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追いだし、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。」しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。「わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。」

 

 真のクリスチャンは、イエス様を信じて聖霊を受け、聖霊によってイエス様に従う人です。聖霊なしには、誰も神様に従うことはできません。


 そのあと、このバプテスマのヨハネの弟子たちは、イエス様の福音を聞いて信じ、イエス様の名によるバプテスマを受けて、聖霊も受けました。周りの人々は、彼らが聖霊を受けたのを目撃しました。それは、彼らが聖霊によって異言を語る賜物や、預言する賜物を受けたからです。コリント人への手紙第一12:11によると、御霊はみこころのままに、一人一人それぞれに賜物を分け与えてくださっているとあります。

 聖霊は、すべてのクリスチャンに異言を語る賜物や、預言する賜物を与えないかもしれませんが、神様のご計画の一部を担(にな)うために必要な賜物を、必ず与えてくださっています。聖霊は私たちに、奇跡を行う賜物や、迫害の中でもイエス様に信頼する信仰を与えてくださいますが、この二つは人間的な力によってはできないことなので、神様からの超自然的な贈り物です。神様が私たちに与えられた働きをするするために、私たちは御霊の力に完全に依存しています。御霊の働きと賜物なしには、イエス様に従うことはできません。しかし、誰でもイエス様を信じているなら、神様がその人に御霊を与えて、ご自分に従うことができるように、力を与えてくださるのです。

 

2. 神様がパウロを通して、病気の人をたくさん癒された。

使徒の働き19:11-12
神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出ていくほどであった。

 この箇所でも、神様の素晴らしい力を見ることができます。神様はエペソで、パウロを通してたくさんの人の病気を治して、奇跡的なことを行いました。パウロの身に着けていた手ぬぐいに触れた人にまでも、病気の快復や、悪霊を追い出すことも与えられました。エペソ人にとっては、これは経験したことのない力でした。

 

3. パウロがイエス様の名によって、たくさんの悪霊を追い出した。

使徒の働き19:13-17
 ところが、ユダヤ人の巡回祈祷師のうちの何人かが、悪霊につかれている人たちに向かって、試しに主イエスの名を唱え、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。このようなことをしていたのは、ユダヤ人の祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。すると、悪霊が彼らに答えた。「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」そして、悪霊につかれている人が彼らに飛びかかり、皆を押さえつけ、打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家から逃げ出した。このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった。

 

 これもとても不思議な場面です。ユダヤ人のスケワという人の七人の息子たちが、悪霊を追い出そうとした、とあります。彼らはパウロを見て、パウロと同じようにできると思いましたが、彼らはイエス様を信じていませんでした。スケワの息子たちは、イエス様の名前を魔法の呪文のようなことと考えて、その言葉を使って悪霊を支配できると考えたのだと思います。しかし、それを試すと、悪霊は彼らを押さえつけて打ち負かし、彼らは逃げ出しました。悪霊が15節でこう言っています。「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかしお前たちは何者だ。」この七人は神様からの力を受けていない、ただの人間だったので、悪霊がその七人よりも大きな力を持っていて、彼らを恐れませんでした。


 しかしパウロは、聖霊を受けて、神様から悪霊を支配する力を与えられていました。この力はパウロの力ではなくて、イエス様の力でした。悪霊は、もしパウロに従わないなら、パウロの主であるイエス様に打ち負かされることが分かっていました。すべての悪霊は、イエス様の力を非常に恐れています。

 
 この二つの場面を見ると、神様はなぜ、いつもそのように奇跡的な力を用いて働かれないのかと思うかもしれません。私は、パウロのように御霊の力によって、たくさんの人の病気を癒せる人を見たことがありません。また私は、イエス様の名によって悪霊を追い出せる人を見たこともありません。聖書はこのような疑問にはっきりとは答えていませんが、聖書を読むと、神様が特定の時代に、特定の人々を通して、素晴らしい出来事を行ったことが分かります。

 この箇所から学べることは、神様が超自然的な力を表される時には、結果として必ず人々がイエス様を誉め讃(たた)えた、ということです。パウロが素晴らしいことを行ったのに、皆はパウロではなくイエス様を賛美して、イエス様を礼拝し、すべての栄光をイエス様にお返ししました。

 

使徒の働き19:17
このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった。

 御霊が力を表す目的は必ず、イエス様に栄光をもたらすことです。神様はある時は、エペソで行ったように超自然的な方法で力を現し、ある時は、もっと微妙で神秘的な方法で働かれるのです。しかし方法は違っても、結果はいつも同じです。それは、それを見た人々がイエス様を信じて、救いに導かれる、ということです。

 

4. 神様が、エペソ人が自分の罪を捨て、神様に喜ばれない人生をあきらめて、神様に従うように導きました。

使徒の働き19:19-20
また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持ってきて、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった。こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。


 私は個人的に、この19章の中で一番不思議な奇跡はこれだと思います。エペソ人が自分の人生の中でとても大事にしていたことを捨てて、イエス様を受け入れました。それは本当に奇跡だと思います。エペソ人は、超自然的な領域をコントロールすることを切望していました。多くの人が魔術を行っていて、たくさんのお金を使って、魔術の本を買っていたことが分かります。しかし、福音を聞き、御霊の力を見て、自分の魔術が神様の本当の力と比べて小さなことに見えました。それから福音を聞いて、イエス様を通して世界が創造されて、一番強い神様から赦しと愛を受けることができると気づいたのです。その時、前の生活を捨て、喜んでイエス様に従い始めました。それを示すために、エペソの皆の前で魔術の本を焼きました。


 サタンはエペソ人に、魔術に頼って偶像を利用すれば、悪から守られて、幸福が与えられると信じさせ、彼らをだましていました。しかし、このサタンの嘘を信じてしまったことによって、彼らが期待したのとまったく反対の結果が出てきました。彼らは神様の恐ろしい罰に直面し、神様の完全な喜びから離れてしまったのです。しかし神様の力はサタンの力より強く、エペソ人が福音を信じるように彼らの目を開いて、サタンの手から救い出してくださいました。


 神様を信頼する力、また神様に従う力は、御霊から得なければなりません。神様を喜ばせる聖なる生活をすることや、イエス様が与えた宣教の働きを行っていくことも、御霊の力を通してのみできることです。誰でもイエス様に信頼すると、神様から永遠のいのちを受けて、永遠に神様と共に過ごす約束を受けます。誰かがイエス様を信じると、神様がすぐにその人に御霊を与えて、共に過ごし始めます。御霊を受けるのは永遠のいのちの初めの一歩です。この御霊を通して、私たちは神様の力を受けるのです。


 御霊の力を通して神様に従い、イエス様の宣教の働きを行うことは、どのように始めることができるでしょうか。


 まず、イエス様の死が、私たちと神様の間に平和を作るのに十分だと信じなければなりません。イエス様の犠牲を通して、私たちは神様から完全な赦しを受けて、神様は私たちを完全に受け入れてくださいました。イエス様の犠牲によって、神様は喜んで私たちと共に永遠を過ごしてくださいます。イエス様を通して私たちは神様に受け入れられました。イエス様は私たちのために死んでくださり、ご自分の無限の力を使って私たちを助けてくださいます。私たちが良い人だから助けられたのではなくて、神様の愛する御子イエス様が私たちの代わりに死んでくださったから、私たちを助けてくださるのです。私たちは神様の愛にふさわしくない者なのに、イエス様が私たちを神様の前に連れて行って、和解させてくださいました。御霊の力をいただくためには、この深い真理を心から信じ、信頼しなければなりません。


 次に、神様が本当にご自分が言ったことを成し遂げる力を持っておられる、と信頼しなければなりません。神様が私たちの祈りに応えて、誘惑を克服させてくださること、また私たちが神様の福音を伝える時、その福音を通して人を救ってくださることを信じなければなりません。


 最後に、神様が命令されたことをやってみる信仰が必要です。心の中で神様の力を信じるだけではなくて、私たちは口で神様のために語り、私たちの手でまわりの人に手を差し伸べ、私たちの足で神様が私たちを送り出す所に行かなければなりません。


 私たちがこのように神様に信頼していく時、神様が超自然的に働かれるのを見させてくださると、私は確信しています。神様がエペソで働いた時と同じような劇的な方法ではないかもしれませんが、神様がご自分の計画を実現して、ご自分の力を表されるのを見ることのできる祝福に、私たちもあずかることができると確信しています。