救いをもたらす真実の信仰

使徒の働き8:1-25

ロビソン・デイヴィッド
2019年11月24日

  先週、教会開拓についてのカンファレンスにa出席してきました。CPI(Church Planting Institute)という団体が主催したもので、静岡で日本人の牧師や働き人と宣教師たちが集まって、どうやって日本で教会開拓をするのかを学びました。とても良いカンファレンスで、日本で働いているたくさんの働き人との交わりにとても励まされました。参加していた人の多くは、日本での教会開拓に対する興味だけではなくて、神様が教会開拓の働きを通して多くの日本人を救ってくださるという希望を持っていました。

 今回は私にとって三回目のCPIでした。毎回 素晴らしい講演者がお話をされますが、前回のメイン・スピーカーについて、ちょっと悲しいニュースを聞きました。その人はアメリカの有名な牧師で、クリスチャンのベストセラーを書いた人です。またとても大きな教会で牧会されていました。彼は2年前のCPIで、自分の教会での奉仕の経験や難しさについて語ってくださいました。私は彼のメッセージにとても励まされました。カンファレンス中のある日、朝ごはんの会場でその人に会って少し話して、感謝を伝えました。その時、とても優(やさ)しい方ですがちょっと悲しそうな顔をしていたことを覚えていました。今年、クリスチャンの雑誌(ざっし)で、その牧師が奥さんと離婚(りこん)して信仰(しんこう)を放棄(ほうき)したということを読みました。とてもショックでした。それから、その人はキリスト教に対する批判(ひはん)を公(おおやけ)にするようになりました。

 このような話しを聞くと、たくさんの疑問が出てきます。その人はかつて本当にクリスチャンだったのか、それとも20年もクリスチャンの振りをしていたのでしょうか。クリスチャンが信仰を放棄すると救いを失うのでしょうか。クリスチャンであるとは一体どういうことなのでしょうか。

 今日の箇所には、クリスチャンに見えたけれども、実はそうではなかった人が出てきます。その人はシモンという人です。シモンは周りの人の目には本当のクリスチャンに見えましたが、神様はその人の外側だけではなくて心を見て、本物の信仰を持っていないと見抜きました。今日は救いをもたらす真実の信仰とはどんなものなのかということを考えたいと思います。

 シモンはサマリア人で、サマリアに住んでいたすべての人に知られて尊敬されていました。シモンは魔術を行っていた人でしたが、ピリポがサマリアで福音を宣べ伝えた時、彼は福音を聞いて信じ、バプテスマまで受けました。彼のような有名人がクリスチャンになったのはとても良い証しに思えたかもしれません。多くのサマリア人がシモンの信仰告白を聞いて信仰に導かれたかもしれません。しかし、シモンは福音を信じてバプテスマを受けたのに、彼の信仰は救いをもたらす信仰ではありませんでした。シモンがクリスチャンになってからしばらくして、彼は使徒ペテロに会いました。すると彼はペテロから神様の力を買おうとして、お金を差し出したのです。ペテロの返事は使徒の働き8:20-23 に記録されています。

 シモンはクリスチャンになるために必要なすべてのことを行ったように見えましたが、ペテロはシモンが持ちかけた話しを聞いて、彼の信仰告白が真実のものではなかったことに気づきました。21節で、ペテロが「おまえはこのことに何の関係もないし、あずかることもできない。」と言っています。その理由はシモンの「心が神の前に正しくないから」でした。また23節でペテロは「おまえが苦い悪意と不義の束縛の中にいる」と言っています。つまり、シモンはまだ自分の罪の中に失われていて、悔い改めとイエス様に信頼することが必要な状況にあったということです。

 今日は、なぜシモンの信仰が真実のものではなかったのか、ということを考えたいと思います。それによって、クリスチャンになる信仰、つまり救いをもたらす信仰がどういうものなのかが分かります。まず、シモンという人について見てみましょう。

使徒の働き8:9-11

 シモンはその時代のサマリアでとても有名な人で、サマリア人は誰もがシモンを尊敬していました。シモンは魔術を使って人々を驚かせ、誰もがシモンは神の力を持っていると信じていました。

 聖書はシモンがどうやって奇跡を行っていたのかを説明していません。色んな仮説がありますが、シモンは現代の手品師のように、巧妙なトリックを考案して、人々を欺いていたかもしれません。または、悪霊に仕えることで奇跡を行って、人々を神様から離れさせていたのかもしれません。

シモンの力の源が何であれ、ピリポがサマリアに来て神様の力によって不思議なしるしを行った時、シモンはピリポが持っている力が自分の力より強いことにすぐに気づきました。シモンはピリポの力を見て彼のメッセージを信じて、クリスチャンになろうとしました。シモンがクリスチャンになりたかった理由は三つあると思います。その理由の中に、シモンの信仰がなぜ彼に真の救いをもたらさなかったのかが現れています。

 1.シモンがクリスチャンになりたかった一つ目の理由は:シモンが福音を事実として受け入れたことです。

使徒の働き8:13

そのような信仰はとても良いものですが、実はそれだけでは十分ではありません。ピリポが神の国とイエス・キリストの名について宣べ伝えた時、シモンはその話しを聞いて信じました。つまりシモンは神様の存在を信じていました。また、イエス様が神様から送り出された方で、殺された後によみがえられて天に昇られたこと、将来この世に戻ってご自分の国を確立(かくりつ)し、すべとの人の上で支配すること、そのすべてを信じていました。シモンはイエス様についてのすべてのことを聞いて、それは事実だと確信していました。それはとても良い信仰なのですが、実はそのような信仰だけでは救いに導かれないのです。それは救いをもたらす信仰ではないからです。

 ヤコブの手紙2:19

 この箇所は、ヤコブが教会の中の問題に対して書いているものです。この教会の中の人たちは福音を信じていると告白していましたが、良い行いをまったくしていませんでした。福音を信じた後も、彼らの生活が変わることはなかったのです。彼らは福音を信じて、救いがあると確信していましたが、実はそのような信仰は無益なものでした。そのような信仰は救いをもたらす信仰ではなく、悪霊が持っている信仰と同じものだ、とヤコブは言っています。

 悪霊はすべて、神様とイエス様の存在を信じています。そして神様とイエス様の力をよく知っています。しかし悪霊は、福音の正しさを信じた上で、身震いしているのです。その理由は、神様が自分たちを地獄に投げ込む未来が待っているからです。悪霊たちはイエス様を信じていますが、同時にイエス様を憎んでいるのです。これが、ただ福音の正しさを信じるだけでは救われることはできないという意味です。

 救いをもたらす信仰は、福音が事実であることを信じるだけではなくて、自分の罪を憎んでイエス様を愛し、神様に従うように導くものなのです。

 2.シモンがクリスチャンになりたかった二つ目の理由は:他の人がクリスチャンになっていたからです。

使徒の働き8:10-12

シモンは、自分の力を尊敬していた人々が、キリストの力に信頼してクリスチャンになっていくのを見ていました。自分はどうすればいいのか。サマリア人が皆クリスチャンになっても、自分を尊敬し続けるだろうか。そうではないかもしれません。しかし、もし自分もクリスチャンになれば、自分の地位を維持できるかもしれない。シモンは自分の社会的地位を守るために、クリスチャンになったのではないでしょうか。

 しかしこのように他の人のためにクリスチャンになるのは、救いをもたらす信仰とは言えないのです。救いをもたらす信仰は、他の人を喜ばせようという心から出るのではなく、神様を愛する心から出るものだからです。救いをもたらす信仰は自分の地位を高くしたいという動機から出るのではなくて、自分をイエス様の下に低くして、イエス様に仕えようとする奉仕の心から出るのです。

 3.シモンがクリスチャンになりたかった三つ目の理由は:神様の力を見て、その力を自分の利益のために手に入れようとしたからです。

使徒の働き8:13-19

 シモンはピリポを見て、ピリポが自分が決してかなわないような奇跡を行っているのを見ました。ピリポの力はシモンの力よりも大きなものでした。シモンはそのような力が欲しかったのです。シモンは、もしクリスチャンになってそのような力を受ければ、神様の力を使ってもっと人々に尊敬されることができると考えていたと思います。

シモンはイエス様の名にある力を魔術のようなものと考えて、その名を使えば、イエス様の力をコントロールして自分の利益のために使うことができると考えていました。

 シモンの問題は、イエス様を主(しゅ)として従うのではなくて、自分が自分の主になりたかったということでした。シモンは自分が神様に仕えるのではなくて、神様が自分に仕えることを求めていたのです。シモンはイエス様の栄光よりも自分の栄光を追い求めました。それも、救いをもたらす信仰ではないのです。

 シモンを見ていた多くの人は、シモンが本当にクリスチャンになったと思っていました。シモンの外側だけを見ればクリスチャンのように見えたからです。シモンは信仰告白をしました。バプテスマも受けました。ピリポの教えをよく聞いていました。しかし神様は、シモンの心を知っておられて、シモンが実はクリスチャンではないことを見抜いておられました。彼が救いをもたらす信仰ではなく、無益な信仰を持っていたことを知っておられました。

 ペテロがサマリアに来た時このことが起こって、シモンの心が明らかにされました。

  シモンは自分を偉大な者にするために、神様の力を買おうとしました。しかし救いをもたらす信仰は、自分の計画を達成するために神様の祝福を得ようとするものではありません。もしシモンが真実な信仰を持っていれば、自分の偉大(いだい)さではなくて神様の偉大さに目をとめたはずです。

もし彼が真実な信仰を持っていれば、神様の国の中でしもべとなるのは、この世で王になるより素晴らしいことだと気づいたはずです。救いをもたらす真実な信仰は、自分が持っていた希望や野心を手放して、イエス様との関係はこの世のどんなものよりも素晴らしい、幸福と充足を与えるものであることを認めることに導くものです。

 私たち罪びとはすべて、シモンのように考える傾向があります。私たちはみな罪の中に産まれて、悪い思いに満ちていました。しかし神様の力と恵みによって私たちの心は変えられて、私たちは神様だけに信頼して、愛することができるようになったのです。

 福音の良い知らせは、神様の御前に出るために、自分の力で自分をきよくしなくてよい、ということです。イエス様がもう私たちの罪のために十字架で死に、私の罪の罰と恥を取り除いてくださいました。もし救いをもたらす真実な信仰を持っているなら、イエス様の血が私たちの過去の罪も未来の罪も、すべて覆ってくださいます。同じように、イエス様がご自分に信頼する人々の代わりに完全な正義の生活をしてくださったので、救いをもたらす信仰を持っている人は、完全な生活をしたイエス様と同じように神様から祝福を与えられるのです。

 福音を信じる真実の信仰を通して、神様が私たちの心を聖霊の力によって変えてくださる希望が与えられています。御霊が私たちを信仰と良い行いに導いてくださいます。

御霊によって私たちの信仰は強められ、神様についての知恵が深められ、神様に対する愛が大くなっていきます。その結果、私たちの人生は少しずつ、イエス様の人生に近づいていくのです。

 私たちが必要とすることは、神様に罪を告白して悔い改め、イエス様を通して赦されれば、罪から解放されて自由となると信じることです。イエス様を通して私たちは恥と死から救われて、永遠の命の希望が与えられます。その希望は私たちのどんな計画より素晴らしいものです。