クリスマスの喜び

ルカの福音書2章1-20節

ロビソン・デイヴィッド
2020年12月20日

ルカの福音書2章1-20節

 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストゥスから出た。これは、キリニウスがシリアの総督であったときの、最初の住民登録であった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰って行った。ヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身重になっていた、いいなずけの妻マリアとともに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリアは月が満ちて、男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らの所に来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」
 御使いたちが彼らから離れて天に帰った時、羊飼いたちは話し合った。「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」そして急いで行って、マリアとヨセフと、飼い葉桶に寝ているみどりごを捜し当てた。それを目にして羊飼いたちは、この幼子について自分たちに告げられたことを知らせた。聞いた人たちはみな、羊飼いたちが話したことに驚いた。
 しかしマリアは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて御使いの話しのとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

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 クリスマスは喜びの季節とよく言われます。私は子どものころ一年で一番好きな日はクリスマスでした。クリスマスにはたくさんのプレゼントをもらったからです。クリスマスの前の夜は、眠れないぐらい楽しみでした。翌朝5時ぐらいに両親を起こして、クリスマスツリーの所に走って行ってプレセントを開けることもよくありました。

 アメリカでは、クリスマスは家族と一緒に過ごしたり、一緒に食事をしたり、クリスマスの歌を歌ったり、プレゼントをあげたりする時です。日本でも、クリスマスは恋人や友達や家族と一緒に過ごす時間です。それは確かにうれしく楽しいことだと思いますが、本来のクリスマスの意味を考えると、もっと素晴らしい喜びが見えてくると思います。クリスマスは、イエス様の誕生をお祝いする時で、イエス様がこの世に来られたことは、歴史上でもっとも喜ばしいことです。

 先ほど、イエス様の誕生の話しを聖書から読みました。この話の中で主の御使いが羊飼いに素晴らしい知らせを与えました。これから少しの時間を通して、この言葉をもっと深く考えたいと思います。

 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。このかたこそ主キリストです。」

この箇所から二つのことを考えたいと思います。
1. 大きな喜びとは何か。
2. なぜイエス様の誕生が大きな喜びを与えるのか

 みなさんの人生の中で、すごくうれしかった時を思い出してみてください。私の場合は、妻と結婚した時や、子ども達が生まれた時です。それはとても喜ばしい時でしたが、聖書は、また違った喜びがあることを教えています。

 マタイの福音書13:44で、イエス様がこんなたとえ話をされました。

 天の御国は畑に隠された宝のようなものです。その宝を見つけた人は、それをそのまま隠しておきます。そして喜びのあまり、行って、持っているものすべてを売り払い、その畑を買います。

 宝を見つけるのはそれ自体とても喜ばしいことですが、イエス様のたとえ話しの意味は、畑に隠した宝を見つけることより素晴らしことがあるということです。それは天の御国に入れられることです。

 もう一つの例を考えましょう。マタイの福音書28章で、イエス様が死後の話しをされました。イエス様につきしたがっていた女性たちがイエス様の死を悼んで、イエス様の墓に行きましたが、着いた時には墓は空っぽになっていました。そこに天使があらわれて、イエス様が死から復活されたことを知らせました。それを聞いた女性たちの反応が、マタイの福音書28:8に記録されています。

 彼女たちは恐ろしくはあったが、大いに喜んで、急いで、墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。

 イエス様の復活の知らせは、素晴らしく、大きな喜びだったでしょう。死んでしまったと思った愛する方が、まだ生きていることが分かったのです。この女性たちが経験したものより大きな喜びはないかもしれません。

 イエス様のご誕生は、これと同じぐらい喜ばしいことだと思います。しかしこの大きな喜びは、何人かの人に与えられるだけではなく、この民全体に与えられる喜びだというのです。誰でもイエス様を信じるなら、この同じ喜びを経験することができます。

 次に二番目の点を考えたいと思います。なぜイエス様の誕生が大きな喜びを与えるのでしょうか。
 その答えは、イエス様がどのような方なのかを考えると分かります。天使は、生まれたイエス様は私達のための救い主で、また主キリストですと言いました。

 イエス様は私たちを救うために生まれました。救いを必要としているのはどのような人でしょうか。たとえば、海で溺れている人は救出される必要がありますね。もし誰かが救ってくれなければ、間違いなく死んでしまうでしょう。溺れている人にとっては、救い出されるのが一番うれしいことです。しかし聖書によれば、すべての人間が、海に溺れるよりも危険な運命に向かっています。私たちは、自分の罪から救いだされることを必要としているのです。聖書は、すべての人が自分の破滅から救いだされる必要があると教えています。私たちは、自分にとって良くないことや、周りの人を傷つけることをせずにはいられません。神様が嫌われることをせずにいられません。救い主がいなければ、神様の裁きを受ける時まで、破滅の道を生き続けてしまう者です。しかし神様が私たちをこの恐ろしい運命から救うために、イエス様を私たちの救い主として送り出してくださいました。これは私たちにとって、確かに大きな喜びです。

 しかし、イエス様は私たちの救い主であられるだけではありません。イエス様は主キリストです。キリストという言葉は、神様がご自分の民に送ってくださると約束された方、という意味です。つまり、イエス様の誕生が表していることは、神様に対して恐ろしい罪を犯した私たちを神様が見捨てず、イエス様を通して赦しを与え、神様と永遠に共に過ごすことができるようにしてくださったということです。世の多くの人は、神様から見捨てられていると感じているかもしれません。しかし、ご自分の愛する御子イエス様を、私たちを救うために送り出してくださったことを通して、神様は私たちのことを忘れておられないということを表してくださいました。イエス様の誕生は、神様が私たちを深く気にかけてくださっていることを表しているのです。この事実も私たちに大きな喜びをもたらします。

 キリストは、神様からすべての被造物を主として支配する権威と力を与えられています。キリストがすべての主です。イエス様は、この世界のすべての問題を解決する力を持っておられます。すべての貧困と苦しみを終わりにする力を持っておられます。イエス様は、宇宙を創造する力、宇宙を分解する力、無限の力を持っていて、その力を使って、この壊れた世界を新しくしてくださると約束されました。このような力を持っている方が生まれたことは、私たちに素晴らしい希望と喜びを与えくれると思います。
羊飼いはこの大きな喜びの知らせを聞いた時、どのように反応したでしょうか。

 16節には「そして急いで行ってマリアとヨセフと飼い葉おけに寝ているみどりごを捜し当てた。」とあります。羊飼いたちは大きな喜びの知らせを受けて、その喜びからイエス様を捜しました。

 今年のクリスマスに、私たちは天使が羊飼いに知らせた言葉を覚え、そして、周りの人々に大きな喜びを告げ知らせます。救い主であり、主キリストであられるイエス様は、今日も生きておられます。私たちを救うことができる方はイエス様だけです。私たちが待ち望んでいるのもイエス様だけです。すべての間違いを正す方はイエス様だけです。このクリスマスに、私たち一人一人が羊飼いと同じように、この大きな喜びを持って、イエス様の元へ急いで走っていくことができるように祈りたいと思います。