今日は教会のビジョン・シリーズに戻って、ビジョンの3つ目の点について学びたいと思います。私たちの教会のビジョンは
「みことばを土台とし、聖霊に導かれながら、宮古のすべての人をキリストへと導き、クリスチャンが神によって変えられ力づけられ、クリスチャンと教会を生み出し続ける教会」でした。
前回、神様が、宮古におかれている教会である私たちに、宮古のすべての人をキリストへと導く召しを与えられていることを分かち合いました。その召しはとても大きくて、難しそうなことに見えるかもしれません。どうやって神様は、この教会を通してそんなに大きなことをしようとしておられるのでしょうか。また、もし神様が宮古の人を救いに導いて、この教会に加わらせてくださるとしたら、その新しいクリスチャンをどのように支えることができるのでしょうか。その二つのことは別々のことに思えるかもしれませんが、その答えは同じです。それは、この教会のすべてのクリスチャンが、神によって変えられ力づけられるために、ともに働くということです。
イエス様が下さった大宣教命令を実行するためには、教会の中のすべてのクリスチャンが神様によって変えられた人生を生きるように力づけられることが必要です。その新しい人生の一つの部分は、イエス様に従って、地の果てにまで福音を届けることです。しかし、そのキリストにある新しい人生は伝道に限ったことではなくて、他にもたくさんの面があります。すべてのクリスチャンは、神様を喜ばせ、完全な人になる旅の途中にいます。人がクリスチャンになる時、神様はその人に新しい人生への召しを与えてくださいます。神様は教会を通して、それぞれのクリスチャンが神様による喜びに満ちた、新しい生活をすることができるように、力づけてくださっています。ですから、この教会のビジョンの一つは、クリスチャンが神によって変えられ力づけられるために、共に働くことなのです。
人がクリスチャンになる時についての聖書の記述を読むと、それが根本的な変化であることが分かります。ヨハネの福音書3:3でイエス様は、クリスチャンになるのは生まれ変わるのと同じようなことだとおっしゃいました。またエペソ人への手紙5:14では、使徒パウロが、クリスチャンになるのは眠りから覚めるようなことで、また死から復活するようなことだと書いています。そして今日のテーマの箇所を見てください。
第二コリント人5:17
ここから分かることは、私たちが救われた瞬間から、神様は私たちの人生の中に根本的な変化をもたらし始めてくださっている、ということです。人が救われると、その人はクリスチャンになる前とは全く違う人になります。また、救われた人は、クリスチャンではない人と全く違う存在になります。私たちがクリスチャンになると、神様が私たちに、神様に仕えることを求める新しい心をくださいます。また、聖霊を通して、神様に従う力、神様の御心に導かれる力をくださいます。
しかし、このような変化はクリスチャンになった瞬間に完全に実現することではありません。私たちが信仰において成長することを通して、また神様にもっと信頼できるようになることを通して、また神様をもっと愛するようになること、神様のことをもっと深く知るようになることを通して、神様が喜ばれる姿に形作られていくのです。その結果、自分にとって何が大事なのか、何のために生きるべきなのか、といったことに対する視点が、変えられていきます。私たちの生活は、罪を犯し続ける生活から、神様に従う生活に変えられていきます。神様は、私たちがクリスチャンになる前には乗り越えることができなかったような試練に耐えて、神様が喜ばれることを選ぶことができるように、力づけてくださいます。
この過程は、神様による聖化の働きの大切な一部分です。そしてこの聖化の働きの重要な役割を担っているのが地域教会なのです。教会はキリストの体なので、教会から離れることは、ある意味でキリストご自身から離れるのと同じことで、信仰における成長がストップしてしまいます。
ですから、私たちの教会の大切なビジョンの一つは、教会に集うすべての人が神様に変えられ、力づけられて、一人一人の人生の中にその変化と力が明らかになることなのです。
私たちが教会のビジョン文を作っている時、人が神様に変えられ力づけられるとはどういうことなのかを考えました。そこから、神様が私たちの人生に働きかけてくださっている5つの大切なことが浮かびあがってきました。教会のすべてのメンバーが、この5つのことについて成長することを励ましたいと思っています。それは
1. キリストに似た者になること
2. 神様と新しい関係を持つこと
3. 周りの人との関係が新しくなること
4. 信仰に堅く立つこと
5. 神様の働き人として整えられること
今日はこの5つのことを順番に見ていきます。まず、教会の皆さんに、神様によって、キリストに似た者になることを励ましたいと思います。使徒パウロによると、これが神様のクリスチャンに対する最終目標です。
ローマ人への手紙8:29
また第一コリント11:1ではパウロはこう言っています。
「私がキリストに倣う者であるように、あなた方も私に倣う者でありなさい。」
神様が私たちをイエス様に似た者に変えてくださるので、私たちはイエス様の生き方を学んで、それに倣うものでなければなりません。私たちが聖書からイエス様について学ぶ時、どうすれば自分の生活の中でイエス様のように生活できるかを考えましょう。イエス様は、自己犠牲的で神様に従順な人生を送られました。イエス様が周りの人々を深く愛し、神様を深く愛された姿にならって、私たちもそのようにすべきです。同時に、神様が私たちの心の中に働いてくださっていることを覚えて、神様が私たちを変えてくださること、力づけてくださることに信頼しなければなりません。
次に、クリスチャンが神様とどのような新しい関係を持つようになるのかを見ていきましょう。ヨハネの福音書4:23
キリストを通して、私たちはまったく新しい仕方で神様を知ったり礼拝したりすることができるようになりました。イエス様は、神様の真実を表してくださっています。神様が完全で聖なる方なので、罪に対する怒りと完全な義を持って、邪悪な人々を罰する方だということを、私たちはイエス様を通して知ることができます。イエス様がこの地上に来てくださらなかったら、私たちの神様との関係はこのようま状態のままでした。
しかし、完全に義である神様が、同時に憐みと愛を持って、私たちの罪の罰を代わりに受けて死ぬためにイエス様を送ってくださったことも分かります。イエス様を通して私たちの罪は赦されて、神様の家族に入れられたのです。私たちを罰する代わりに、聖霊なる神様が私たちの心に入ってきてくださり、私たちの中に住まわれるようになりました。
キリストによる救いを受ける前の私たちは神様から遠く離れていましたが、キリストを通して神様に近づけられました。
ですから教会の目的の一つは、共に神様を礼拝し、共に神様との関係を深めることなのです。
次に、神様によって周りの人との関係が新しくなる、ということについて考えましょう。ヨハネの福音書13:34を開いてください。
ここでイエス様は、私たちと人との関係が新しくなる方法を教えてくださいました。それはイエス様が私たちを愛してくださったように、私たちも互いに愛し合うことです。イエス様は私たちをどのように愛してくださったでしょうか。イエス様は、私たちを完全な愛で愛してくださいました。イエス様は、ご自分の弟子たちに裏切られても、弟子たちを愛し続けました。世界の主である方なのに、弟子たちの足を洗って、弟子たちに仕えられました。イエス様は罪を犯さなかったのに、他の人の罪のために喜んでご自分の命を捧げてくださいました。同じように、神様に変えられ、力づけられることを通して、私たちも、仕えるべき人に喜んで仕えることができるようになるのです。私たちは神様から、他の人の罪のために自分を犠牲にする力を与えられます。また、自分を怒らせた人を、赦しに値いしなくても赦す力を与えられます。何の見返りもなしにそのようなことができるようになるのです。なぜでしょうか。
イエス様の十字架なしの私たちの人間関係は、自分の満足が中心になっています。他の人に仕えるのは、それに見合った見返りを期待しているからそうするのが普通のことでしょう。もし誰かがあなたを傷つけたら、復讐を求めるのが普通のことです。もし誰かがあなたを怒らせたなら、その人から謝罪があって当然と思うのが普通のことです。
しかしキリストの働きによって、私たちの人間関係は根本から変えられました。イエス様が私たちの必要を完全に満たしてくださるので、私たちは他の人から何かを必要としなくなります。イエス様からすべての霊的な祝福をいただいたので、何の見返りもなしに周りの人に仕えることができるようになります。イエス様が私たちの罪を赦してくださったので、他の人を赦す自由を得るのです。イエス様が私たちのためにご自分の命を捧げてくださったので、私たちは周りの人に仕える自由を与えられます。このようにして、私たちの周りの人との関係は、イエス様によって根本的に変えられるのです。
次に、クリスチャンが神様によって信仰に堅く立つことができるようになることについて見てみましょう。第一コリント15:55-58
神様はイエス様の十字架によって、私たちに死と罪に対する勝利を与えてくださいました。私たちは死と罪に打ち勝つことはできませんが、イエス様がこの二つの敵に勝利してくださったのです。イエス様の勝利を通して、私たちは信仰に堅く立つ自信を持つようになります。
この地上での人生は、不安や苦しみ、混乱に満ちています。今も世界中の人々が、世界的なウイルス流行の恐怖に直面しています。この危機によって様々な不安が出てきます。自分が病気になる不安、高齢の親族の健康の不安、経済的な不安を持っている人がたくさんいます。しかし、このような危機がない時でも、不安はたくさんあります。人生は困難に満ちています。そのような不安の中にある時、私たちは神様の力や、神様が良い方であることを疑う誘惑に直面します。不安の中で、神様の命令に従うよりも、自分の考えや経験に頼ろうとする誘惑が強くなるかもしれません。しかし、イエス様はこのような状況の中でも、私たちに、堅く立って動かされることなく、主のわざに励む力を与えてくださるのです。私たちは教会として、共にイエス様の勝利を覚え、イエス様によって共に信仰に堅く立つことを励まし合いたいと思います。
最後に、クリスチャンが神様の働き人として整えられるという点について考えましょう。
エペソ人への手紙4:11-12
イエス様は聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストの体を建て上げるために、教会のリーダー達をお立てになりました。ですから、この教会の中でも、すべてのクリスチャンがキリストの体を立て上げる奉仕ができるように整えられていくのを見たいと思っています。神様は、教会の一人ひとりに、教会を建て上げるための賜物をくださっています。私たちの願いは、皆さんが、信仰において成長したり、福音を伝えたりすることを、互いに励ますことです。すべてのクリスチャンが、教会を建て上げる働きをする召しを神様からいただいているからです。
多くのクリスチャンは、教会の働きは信徒ではなくて、牧師や宣教師の仕事だと考えていると思います。しかし、聖書によると、牧師の大切な責任の一つは、自分で教会を建て上げることではなくて、教会の信徒たちにどうやって教会を建て上げるのかを教えることです。これが、世界に福音を広げるための神様のご計画の中心的な部分だと思います。世界のすべての人に福音を伝えようとしたら、牧師と宣教師の人数は全然足りないと思います。しかし、もしすべてのクリスチャンが神様の召しを確信して、福音を理解して周りの人に伝える訓練を受けたら、教会を通して神様のご計画が達成され始めるのを見ることができるのです。
今日は、教会の中で、クリスチャンが神様によって変えられ、力づけられる5つの方法を学びました。それは
1. キリストに似た者になること
2. 神様と新しい関係を持つこと
3. 周りの人との関係が新しくなること
4. 信仰に堅く立つこと
5. 神様の働き人として整えられること
私たちは教会としてどのようにこれを成し遂げることができるのでしょうか。最後にへブル人への手紙10:24-25を開いてください。
私たちが教会として集まる時、愛と善行を促すために、互いに注意を払いましょう。それは自分の信仰の成長だけを考えるのではなく、教会の兄弟姉妹たちの信仰の成長も考えることです。一緒に聖書を読んだり、共に祈り合ったり、互いに励ましたり、互いに信仰に立つためのアドバイスをすることができます。また、他のクリスチャンからのアドバイスや注意を謙虚に受け取れることも大切です。それは神様の聖化の計画の大事な一部だからです。箴言27:17に「鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる」と書いてある通りです。
私たちは、神様が求めているような者になり、神様が求めている行いをするために、キリストの体として神様によって共に変えられ、力づけられていきたいと思います。