地の果てにまで私の救いをもたらす

使徒の働き13

ロビソン・デイヴィッド
2020年06月21日

最近、コロナウイルスの影響によって、日本に住んでいる人の多くが経済的な問題に直面しています。そのため、日本政府は給付金を支給しました。それによって、多くの人が生活に必要な支払いや買い物をすることができました。このような状況の中では、政府が国民を助けるのが当然のことだと思います。国民に、税金を払ったり法律を守ったりする責任があるように、政府には国民の生活を守る責任があります。
私たち一家はちょっと面白い状況にいます。私たちは日本に住んでいて日本の税金を払うので、日本政府から給付金をいただきましたが、私とともはアメリカにも税金を払っているので、アメリカの政府からも給付金をいただきました。それはとてもありがたいことですが、税金を払っているのだから妥当ともいえることだと思います。
しかし、私たちと全然関係のない国が私たちに給付金をくださると想像してみて下さい。たとえば、もしドイツ政府が自国民だけではなくて、日本の国民にも給付金を支給すると決めたら、それはとても意外なことですね。私たちはドイツに税金を払っていませんし、ドイツの法律を守っているわけでもなく、ドイツと全く関係がありませんので、ドイツ政府には私たちを助ける責任は一切ありません。もしドイツ政府が関係ない国の人まで助けるとすれば、それはとても不思議で寛大なことだと思います。
今日の箇所の中に出てくるのはそのようなことです。神様はご自分の民、つまりユダヤ人に救い主を送ると約束されました。しかしイエス様が来られると、ユダヤ人だけではなくて、異邦人の私たちも救うために来られたのだと教えられました。つまり、神様には異邦人である私たちを救う責任は全くないのに、私たちに一番大切な贈り物をくださったのです。
使徒の働き13章では、福音が遠くまで届けられるようになったのを見る事ができます。イエス様が使徒の働き1:8でこう言われた通りになったのです。
「聖霊があなた方の上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります」
使徒の働き13章1-4を見てください。
これは使徒パウロが1回目の宣教旅行に送り出される場面です。これは初代教会にとって、もっとも野心的な事業だったかもしれません。当時、クリスチャンのほとんどはユダヤ人でした。教会はイスラエルの外にもありましたが、教会の中の多くはユダヤ人でした。しかし、使徒パウロとバルバナはこの宣教旅行を機に、ユダヤ人への伝道から異邦人への伝道にフォーカスをうつしていきます。彼らはシリヤのアンティオキアから、現在のキプロスとトルコにまわって福音を伝え、教会を開拓していきました。
今日は使徒の働き13章の後半部分に焦点を当てたいと思います。パウロとバルナバは、現在のトルコにある、ピシディアのアンティオキアにやってきました。二人はその町に入ると、ユダヤ人に福音を伝えるために、安息日にユダヤ人の会堂に入りました。そして、16節から41節まで、パウロがユダヤ人に対する説教を語りました。パウロは、神様がユダヤ人のための救い主を送る約束をされたこと、その救い主がイエス様であることを語りました。最初は、多くのユダヤ人がそのメッセージを喜んで受け入れて、次の週また来て説教するようにパウロを招待しました。しかし次の安息日には、ユダヤ人だけではなく、町中の人々がパウロの説教を聞くために会堂に来たとあります。44節によると、大勢のユダヤ人たちは「妬みに燃え、パウロが語ることに反対し、口汚くののしった」とあります。するとパウロとバルバナは驚くべき決断をしたのです。
使徒の働き13:46-48
その時からパウロとバルバナは、ユダヤ人ではなく異邦人に伝道することを主な働きとするようになりました。そしてその時から、福音が世界のすべての人に届けられることになったのです。私たち異邦人にとっては、これはとてもありがたいことです。
そもそも私たち異邦人には、神様の救いが与えられる希望は全くありませんでした。しかしアブラハム、イサク、ヤコブ、また、モーセ、ダビデ、イザヤにくださった約束は、異邦人の私たちにも与えられています。パウロは、実はこれが昔から定められた神様のご計画だったことを説き明かしています。47節では、イザヤ49:6が引用されています。この箇所を開いてみましょう。
神様のご計画は昔から、ユダヤ人だけではなくて、地の果てにまでご自分の救いをもたらすことでした。しかしイスラエル以外の人は、パウロが伝道するまで、神様のご計画どころか神様ご自身を知りませんでした。
これは、他の国の政府が、私たちが受け取る資格のないとても素晴らしい贈り物をくださるようなことです。これが福音です。良い知らせです。神様ご自身を知らず、神様の律法を守ることもなかった私たち異邦人には、神様は何の責任も負っていませんでした。しかし、すべての常識に反して、神様は私たちに手を差し伸べて、イエス様による救いをくださったのです。
エペソ人への手紙2:11-13
これは私たちについての箇所です。「キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たち」とは以前の私たちのことです。しかし、かつては遠く離れていた私たちも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなりました。
この素晴らしい真実を覚えて、このような深い恵みにどのように応答するべきか、4つの点を考えたいと思います。
1.喜び、主のことばを賛美する。
使徒の働き13:48
ピシディアのアンティオキアにあったユダヤ教の会堂には、神を敬う異邦人の改宗者がいました。ユダヤ人たちは神様がユダヤ人だけにご自分を表してくださったと確信していたので、彼らを見下ろして、二級市民と見なしていました。それなのに、異邦人の改宗者たちは毎週、神様のみことばを聞いて神様のことを知るために、会堂に来ていました。
ですから、パウロが会堂に来て、ユダヤ人が待ち望んでいる救い主が、ユダヤ人だけでなく異邦人も救うために来られたと宣言した時、異邦人は喜んでイエス様を信じ、神様を賛美しました。私たちも現代の異邦人として、同じようにするべきだと思います。
神様は素晴らしい方で、世界中の人々救う計画を持っておられます。神様は愛とあわれみに満ちて、罪を許してくださるお方です。神様は私たちをご自分の家族とならせて、永遠の遺産を約束してくださったお方です。
この尊い救い、また、神様の私たちに対する愛が、私たちの人生の土台となるべきだと思います。私たちは毎日信仰によって歩んで、神様に信頼し、神様に従われなければなりません。
2.救いをもたらす者となる
47節で、パウロはイザヤ書49:6を引用していますが、ここでパウロは実はとても興味深いことをしています。もう一度イザヤ書49:6を見てください。
ここで神様は誰に対して語っているでしょうか。神様のしもべである方とは誰でしょうか。ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのうちの残されている者たちを帰らせる方は誰でしょうか。それは神様が約束された救い主、つまりイエス様です。イザヤ書で、神様はイエス様を国々、つまり異邦人の光とし、「地の果てにまで私の救いをもたらす者とする」と言われました。
しかし、使徒の働き13:47を見ると、パウロはこれを主が誰に命じておられると言っているでしょうか。パウロは、神様がこれをイエス様ではなくて、イエス様の弟子であるパウロとバルバナに命じておられると言うのです。なぜでしょうか。それは、イエス様がご自分の弟子たちに、神様から与えられた地の果てまで救いをもたらす責任をバトンタッチされたからです。
神様がパウロとバルバナを異邦人の光としました。それ以来、誰でもこの素晴らしい救いを受け入れるなら、イエス様と同じように、またパウロとバルバナと同じように、神様が彼らを国々の光とし、地の果てにまでご自分の救いをもたらす者としてくださるのです。そして私たちも、その責任を受けています。
この召しを全うする方法はたくさんあると思います。個人的に友人や親戚に福音を伝えることもできます。公に福音を宣言したり、伝道イベントを行ったりすることもできます。ネットを使って、Facebookやメールを通して伝道することもできます。いろんな方法があって、このすべてを通して神様が働かれると思います。
今日学んでいる箇所の中で、参考になる一つの方法が記されています。これを考えましょう。14―16節を見て下さい。
まずパウロはたくさん人が集まっている場所に行って、公に福音を伝える機会を探しました。それから、多くの人の前で福音を宣言しました。
次に42-43節を見て下さい。 
パウロは公に福音を伝えた後、何をしましたか。福音を聞いた人の中で、特に福音に興味を持った人と語り合い、神の恵みにとどまるように個人的に説得しました。しかし、福音を拒絶する人と議論することにはあまり時間をつぎ込むことはしませんでした。パウロの戦略は、まず公に福音を伝えてから、神様が引き寄せていそうな人にファローアップすることだったことが分かります。
私たちも、パウロの戦略に従っていくことができると思います。私たちは教会として、たくさんの人に福音を伝える機会をいつも求めて作り出し、神様がご自分の福音を通して人の心の中でどう働くのかを注意深く見ているべきだと思います。それから、福音を拒む人のために祈りましょう。もし神様があとでもう一度その人に福音を伝える機会を与えてくださったなら、また伝えることができます。神様が心の中で働いている人がいるなら、その人を特に覚えて、神様のことについて話し続けるべきだと思います。

3.喜びと聖霊に満たされる
50-53節を見て下さい。
弟子たちは苦しみと迫害を経験し、多くの人が福音を拒んでいたのに、それでもなお、喜びと聖霊に満たされました。その理由は、問題があっても神様が働いておられることを確信していたからです。彼らは毎日、神様の働きを見ながら喜びました。目の前の困難を見て落胆するのではなく、イエス様の勝利を喜んでいたのです。
神様の赦しと救いを受けた私たちには、この人生で何が起こっても、喜ぶ理由があります。天の報酬を受ける望みがあるからです。
パウロは、同胞のユダヤ人たちが、待ち望んでいた救い主を受け入れることを深く願っていましたが、多くのユダヤ人たちはイエス様を拒絶してしまいました。これはパウロにとってとてもつらいことでしたが、多くのユダヤ人が福音を拒んだ後、神様が異邦人の心を開いて、多くの人が神様の救いを受けたことをパウロは喜びました。私たちも、難しさを経験する時でも、神様が働かれていることを喜ぶことができます。

4.働き人を送り出す。
最後に、使徒の働き13章の最初の部分に戻って、1-3節を見て下さい。
以前、使徒の働き11章を学んだ時、パウロとバルバナはアンティオキアの教会の牧師でした。彼らがアンティオキアに行って、アンティオキアのクリスチャン達にイエス様の教えを教えて、福音を宣言しました。つまり、アンティオキアの教会はパウロとバルバナによって開拓された群れでした。しかし13章では、そのアンティオキアの教会が、自分の牧師たちを送り出しているのです。それは神様の召しでした。
このようなことは教会の自然な営みで、神様の教会に対するご計画の一つを表していると思います。神様が望んでおられることは、一つ一つの教会が成長し成熟して、深い信仰と知恵によって、自分たちの働き人を送り出すまでになることです。神様が望んでおられることは、教会が賜物のある人を自分たちのために手放さないことではなく、よく教えられていて賜物のある人を、福音を伝えて教会を開拓するために送り出すことです。
私の祈りは、私たちがそのような教会になることです。私たちが救いの喜びに満ちて、その喜びから周りの人々にイエス様による救いの良い知らせを伝えるようになることを願っています。また、神様が宮古の人々を救ってこの群れに加えて、私たちと共に信仰と望みと、愛に成長し、教会のリーダー達と働き人が育てられることを祈っています。また、神様が将来この教会から、福音が必要な所で福音を伝える働き人を送り出してくださるようにも祈っています。そのようにして、私たちがすべての人々の光として、地の果てにまでも神様の救いをもたらす者となることができるように祈っています。