熱心な祈り

使徒の働き12

ロビソン・デイヴィッド
2020年06月 7日

皆さんはこれまでの人生で、良い状況が急に悪くなる経験をしたことがありますか?
 先週、私たち夫婦は11周年の結婚記念日をお祝いしました。月曜日に子供たちが学校と幼稚園にいる間に、夫婦で海を見に行く予定でした。でも、フェリシティとサイラスを幼稚園に連れて行った10分後ぐらいに、幼稚園から連絡があり、サイラスが幼稚園のうんていから落ちて、口唇をケガしてしまったということでした。それで、夫婦で時間を過ごす代わりに、サイラスを病院に連れて行くことになりました。それが今年の結婚記念日のお祝いになりました。感謝なことにサイラスは大丈夫でしたが、結婚記念日のお祝いは期待していたのと違うものになりました。
 今年の初めに、開拓チームで2020年の教会の計画について考えた時、春に色んなイベントを計画しました。特にイースターのあたりで、宮古に住んでいる人にイエス様の復活に関して証しができるようなイベントを考えていました。復興住宅でのカフェもいくつか計画しましたし、毎月の英語のイベントも始めようかと計画し始めていました。教会開拓をするためには、たくさんの人に会って、イエス様の愛を証しすることが必要です。しかし、コロナウイルスによって、すべてのイベントがキャンセルになってしまいました。礼拝の集まりまでもキャンセルして、オンラインだけの礼拝をしなければなりませんでした。さらに、世界のすべての人が大きな不安や苦しみ、また経済的な苦しみを経験しました。私は、神様がどうしてこのようなことをお赦しになるのかと考えました。このようなつらい状況の中で、どうしたら神様の計画を行うことができるのかについても悩んでいました。
 皆さんもこのような状況を経験したことがあると思います。クリスチャンは、そのような状況の中で何をすべきなのでしょうか。
 今日は使徒の働きのシリーズに戻って、使徒の働き12章を学びたいと思います。この箇所では、教会を破壊しかねないような厳しい危機に突然直面した初代教会が、どのようにその危機に対応したのかを見ます。
 まず、1-2節をみてください。
 ヘロデ王が急に教会を迫害しようと決めて、ヤコブを捕えて殺してしまいました。ヤコブの殺害は、教会に大きなショックを与えました。ヤコブはイエス様の十二使徒の一人で、教会に愛されたリーダーの一人だったからです。ヤコブはイエス様の弟子だっただけではなくて、ペテロとヨハネと共に、イエス様からとても愛された三人のうちの一人でした。イエス様は地上での働きの間に、他の弟子たちよりもたくさんの時間をペテロとヨハネとヤコブと過ごしました。イエス様が山の上で変容されたとき、ペテロ、ヨハネとヤコブだけを一緒に連れて行きました。また、イエス様は十字架で死ぬ前の夜、ゲツセマネで祈った時も、ペテロ、ヨハネとヤコブを選んで、他の弟子たちから離れて一緒に祈るようにおっしゃいました。
  ヤコブの死はペテロにとってとてもつらいことだったと思います。ペテロはイエス様の弟子になる前、漁師の仕事をしていた時、ヨハネとヤコブと一緒に働いていた仲間でした。ペテロはヨハネとヤコブと一緒に漁師の仕事を辞めて、イエス様の弟子になりました。ペテロとヤコブはヤコブの死ぬ時まで、ともに教会のリーダーとして奉仕し、長い年月を友人として過ごしました。
  しかし、福音が広がっていき、教会が大幅に増えていく中で、ヤコブが急に殺されたのです。それは教会、また、ペテロに対して大きなショックを与えたと思います。使徒たちはそれまでにも何回も指導者達に捕まえられましたが、神様が奇跡的に彼らを救いだしてくださいました。ヤコブが捕まった時、神様がヤコブのことも救ってくださるはずだと思ったクリスチャンが多かったかもしれません。しかしこの時には神様はヤコブを救わず、ヤコブが殺されることをお許しになったのです。このことは教会の信仰を揺るがす事件だったかもしれませんが、状況はここからさらにもっと悪くなります。
3-4節
 次に、ヘロデはペテロを捕まえて牢に閉じ込め、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させました。ヘロデは、ペテロを殺すことを決めていたようです。教会がペテロを救うことも、ペテロが逃げることも、絶望的に思われました。また、ペテロが捕らえられたタイミングもとても恐ろしいものでした。ペテロは種なしパンの祭りの時期に捕らえられました。イエス様も同じように、種なしパンの祭りの時期に捕えられて、祭りが終わるとすぐに十字架で殺されました。ヘロデの計画はイエス様と同じようにペテロを殺すことだったのです。
 エルサレムにいた当時のクリスチャンの気持ちを想像してみてください。ヤコブが殺されてしまったことで、神様への信仰が揺らいでいたかもしれません。神様はなぜヤコブを救ってくださらなかったのか。ヤコブはイエス様に愛されていた弟子の一人で、教会に愛されたリーダーの一人でしたが、神様は彼が死ぬことをお許しになったのです。次に神様は、ペテロが捕らえられて牢に入れられることもお許しになりました。神様はヤコブのようにペテロにも死を許されるのでしょうか。神様はペテロを救ってくださらないだろうと思うクリスチャンがたくさんいたと思います。
  このような絶望的な状況を経験したことがある方がこの中にもいるかもしれません。順調に幸せな人生を送っていたと思ったら、次の日にはとてもつらいことが起こる。そんな時私たちは、神様はどうしてそのようなことを許されるのか、と思うかもしれません。神様はもう私を助けてくださらないのだろうか、と考えてしまうかもしれません。
 しかし、教会はどのようにこの状況に応答したでしょうか。
5節を見てください。
 「教会はペテロのために、熱心な祈りを神にささげていた」とあります。神様、ペテロを死から救ってください。ペテロは私たちにイエス様の教えを教えて、イエス様の教会に奉仕し大胆にイエス様の福音を伝えています。どうかペテロを救ってください。というような祈りを熱心に祈り始めました。この時、ペテロの状況はまったく望みのない状況に見えました。教会が、四人一組の兵士四組と戦ってペテロを救うなど、無理なことです。政府にペテロを解放してくださいと頼むことも希望のないことでした。教会は、ペテロを救うために何もできませんでした。ですから、祈り始めたのです。
 クリスチャンが神様に一番熱心に祈る時は、このような時ではないでしょうか。多くの場合、祈りは私たちの最後の手段のようになっていると思います。なぜでしょうか。私たちは自分で解決できそうな問題に関しては、神様の助けに頼らないことが多いのではないでしょうか。自力で解決できそうだと思えば、神様に頼るのではなく、不安と恐れに満ちて疲れ切るまで働いてしまう人が多いと思います。しかし神様は、私たちがすべての状況の中で神様に寄り頼むことを望んでおられるのです。
 イエス様が弟子たちに、主の祈りを教えられた時、このように祈りなさいと教えられました。
 「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」
 私たちはこのように祈ることがあるでしょうか。ほとんどの人は、祈らなくても今日食べる食べ物はもう家にあるんです。どうしてそのような小さなことまで神様に祈る必要があるのでしょうか。皆さんは、今日の昼ご飯を与えてくださいと神様に祈ることがありますか?私はそのように祈ったことがないと思います。しかしイエス様は、そのような小さなことまで神様に祈るべきだと教えられたのです。その理由は、私たちが実はすべてのことについて神様に依存しているからです。私たちは毎日、神様からたくさんのものをいただけなければなりません。ですから、神様のみこころは、私たちがつらい時、困難の中にある時だけ神様を頼るのではなくて、すべての状況において神様に寄り頼むことなのです。そうすれば、私たちは毎日、自分の力ではなく神様の力を通して生きることができます。
 しかし、危機が起きた時には、いつも以上に熱心に神様に祈るべきです。ヤコブが殺されて、ペテロが捕らえられた時、教会は特別な祈り方で祈り始めました。彼らは「熱心に」祈りました。熱心に祈るとはどういうことでしょうか。まず、祈る姿勢が熱心になりました。私たちが普段食事を感謝する時のような祈り方ではなくて、必死に祈りました。愛する友人の命を救うために祈りました。また、時間をかけて祈りました。彼らは夜中まで祈りを続けたと思います。
 イエス様は弟子たちに、このように祈るようにと教えました。
ルカの福音書18:1-8
 このたとえ話の意味はとてもシンプルで、イエス様は、私たちが神様に絶え間なく祈るべきだと教えておられます。神様に迷惑をかけるぐらい祈るべきだというのです。これはとても不思議な教えだと思います。罪びとの私たちにとって、神様に同じことを何度も頼むのはふさわしくないことに思えます。神様が祈りに応えてくださらないなら、また同じことを頼むのはふさわしくないのではないでしょうか。イエス様は、神様が「昼も夜も神に叫び求めている、選ばれた者たち」のために、速やかに裁きを行ってくださると教えてくださいました。神様は、私たちを選んで愛してくださっているので、私たちが昼も夜も祈るなら、喜んで私たちを助けてくださるのです。別の箇所でもイエス様は、良いお父さんが自分の子供たちの必要を聞くと喜んで応えるように、神様が私たちの祈りに喜んで応えてくださるとおっしゃいました。
 イエス様が教えられたことは、私たちが神様に頻繁に祈ること、そして祈りが応えられるまで祈り続けることです。
 教会の熱心な祈りにはもう一つの特徴があります。使徒の働き12:12節を見てください。
 「そこには多くの人々が集まって、祈っていた」とあります。教会は、一人で祈るのではなく、兄弟姉妹たちと集まって共に祈りました。もちろん一人で祈ることも大切なことです。イエス様ご自身もよく一人で祈られました。しかし、教会が共に祈ることもとても大切なことです。特に教会に問題がある時には、集まって祈るべきです。
 この熱心な祈り、絶え間ない祈り、そして教会が集まって祈る祈りの結果、神様はその祈りを聞いて、奇跡的に応えてくださいました。ペテロを牢から救ってくださったのです。神様の応えはとても劇的な方法で与えられたので、ペテロ自身、神様が本当に牢から救ってくださったのだとすぐには信じられませんでした。ペテロはそれが幻だと思いました。教会も、神様が祈りに応えてくださったことを信じられませんでした。ペテロがドアをノックしても、すぐには信じられなかったんです。神様の応えがそのぐらい意外な方法で与えられたからです。
 最終的に神様は、ご自分の教会を守られました。12章の最後の部分で、その話の結果を読むことができます。ペテロはヘロデの手の届かない所に逃げ、神様はヘロデの命を取って教会を迫害から守られました。しかし一番大切な結果は24節に記録されています。
 「神のみことばはますます盛んになり、広まっていた。」
 ヘロデはヤコブを殺し、ペテロを捕らえて、教会を脅かしましたが、神様が教会の熱心な祈りを聞いて、ご自分の選ばれた者を救って勝利されました。ヘロデは教会を迫害しようとしましたが、最終的には神のみことばはますます盛んになり、広まっていったのです。イエス様の愛と救いについて聞いた人が増えていき、イエス様に信頼して救いを受ける人が増えていきました。
  私たちはこの話を学んで、どのように応答したらいいでしょうか。もし困難な所を通っている方がいれば、熱心な祈りを神様に捧げましょう。また神様は、私たちがすべての状況において神様に寄り頼むことを願っておられます。
 また私たちは宮古にある教会として、神様の働きを担うために何が必要なのか考えて、熱心な祈りを神様に捧げましょう。神様がこの教会を建て上げてくださるように、宮古で収穫をもたらしてくださるように、頻繁に、そして熱心に、共に祈りましょう。私たちが困難を感じても、神のみことばがますます盛んになり、広まるように祈り続けましょう。