どうやって聖書を読み始めたらいいか

詩編19:7-11

ロビソン・デイヴィッド
2021年01月17日

 聖書は、世界中で一番有名で、影響力のある本の一つです。多くの歴史家にとっては、とても貴重な古代史の記録でもあります。聖書を開くと、魅力的な物語や、美しい詩や、深い哲学的論文を読むことができます。何十億もの人々にとって、聖書は神様からの啓示であり、神様が、ご自分が創造された人間に対して、ご自分がどのようなお方で、人間がどのように生きていくべきなのかを表された、大変貴重な文書です。

 しかし、聖書を初めて読む人にとっては、敷居が高いかもしれません。聖書はとても長くて、複雑な本です。聖書は実は一つの本ではなくて、44人の筆者によって1,500年の期間にわたって書かれた、66冊の本をまとめたものです。そんな壮大な書物を、どこからどうやって読み始めたらいいのでしょうか。今日はそれを考えてみたいと思います。

 それをする前にまず、聖書を読むメリットについて考えたいと思います。聖書自体は聖書について何と言っているのかを見てみましょう。聖書の中の「詩編」という書を開くと、こう書いてあります。

詩編19:7-11
主のおしえは完全で たましいを生き返らせ 主の証しは確かで 浅はかな者を賢くする。
主の戒めは真っ直ぐで 人の心を喜ばせ 主の仰せは清らかで 人の目を明るくする。
主からの恐れはきよく とこしえまでも変わらない。 主のさばきはまことであり ことごとく正しい。
それらは金よりも 多くの純金よりも慕わしく 蜜よりも蜜蜂の巣の滴りよりも甘い。
あなたのしもべもそれらにより戒めを受け それを守れば大きな報いがあります。


 詩編は、古代ヘブライ語の詩集です。この詩編19篇は、イスラエルの一番偉い王であったダビデが書いた歌です。ダビデは、7節で「主の教えは完全で、」と書いています。この「主の教え」というのは、聖書のことです。聖書は神様の法律であり、人間が神様を喜ばせるために、何をしなければならないのかが書かれています。ダビデは、この主の教え、つまり聖書は完全なのだ、と宣言しているのです。また聖書は神様のみこころを完全に表しています。ダビデはこの箇所で、聖書について他にもいくつかの言葉を使っています。7節では聖書を「主の証し」と呼んでいます。これは、神様が聖書を通して、ご自分がどういう方であるかを証言しているということです。また8節には、聖書は「主の戒め」とあります。さらに8節の後半では「主の仰せ」と呼び、神様が人間に、正しい生き方とはどういうもので、道徳的に正しいことは何かを表していることを教えています。

 またダビデは、人が聖書を読んでその教えを守ると、大きな報いがあるとも書いています。この中に、たましいが疲れ果てている人はいるでしょうか。心配事や不安がある人がいるでしょうか。主の完全な教えは、あなたのたましいを生き返らせることができます。知恵が必要な人がいるでしょうか。何をすべきか分からない状況に直面している人がいるでしょうか。主の確かな証しはあなたに知恵を与えて、導いてくれます。心が重くて、悲しみに満ちている人がいますか。主のまっすぐな戒めは、あなたの心を喜ばせることができます。この混乱に満ちた世界に戸惑っている人もいるかもしれません。霊的な世界で何が起こっているか分からない人もいるかもしれません。主の清らかな仰せは、あなたの目を明るくしてくれます。この世界にある不正によって悲しんでいる人がいるかもしれません。主の真の裁きはことごとく正しく、義を表していて、あなたに希望を与えてくれます。

 ダビデの結論は、神様のみことばは他のすべての富よりも慕わしく、一番甘い蜜よりも甘い、ということでした。ダビデは彼の時代の最も裕福な王で、お金で買うことのできるすべての喜びを持っていましたが、聖書はそのすべての富よりも貴重なものだと断言しているのです。私たち人間にとって最も幸いなことは、神様のみことばを読んで理解することだとダビデは言っています。

 では、どうしたらこの素晴らしい聖書から、ダビデが語った恵みを得ることができるのか考えましょう。

 そのためにまず、聖書がどのような書物かについての知識が役に立つと思います。先ほど言ったように、聖書は一つの本ではありません。英語で聖書をBibleと言いますが、Bibleという言葉はラテン語から来ていて、本の集まりという意味です。聖書は44人の筆者によって1,500年をかけて書かれた、66冊の本の収集です。この44人の筆者は、それぞれの時代にそれぞれの経験をしましたが、みな神様からのメッセージを伝える預言者たちでした。つまり、この44人の人たちが書きたいことを書いたのではなく、神様がこの人達を通して聖書を書かれた、ということです。

第二ペテロ1:19-21
 また私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜が明けて、明けの明星があなたがたの心に昇るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。ただし、聖書のどんな預言も勝手に解釈するものではないことを、まず心得ておきなさい。預言は、決して人間の意志によってもたらされたものではなく、聖霊に動かされた人たちが神から受けて語ったものです。

 ここに書いてあるのは、聖書はすべて、唯一の神様に動かされた44人の筆者が書き留めた、一つの素晴らしいメッセージなのだ、ということです。ではこの一つのメッセージとは何でしょうか。

 聖書には、旧約聖書と新約聖書という二つ部分があります。旧約聖書は、神様による世界の創造から始まって、神様の民が救い主を待ち望んでいる所で終わります。そして新約聖書は、旧約聖書で約束された救い主とはイエス・キリストのことですよ、と表す内容となっています。

 旧約聖書の最初の部分には、唯一の神がすべてを創造されたとあります。神様が世界を創造された時、すべては完全に良いもので、神様の義のご性質と完全に調和していました。神様は一人の男アダムと一人の女エバを創造して、アダムとエバがすべての人間の祖先となりました。しかし、アダムとエバは完全な者として創造されたのに、神様の命令に従わず、神様を拒んでしまいました。その結果、神様と人間の間の平和が破られて、罪と苦しみがこの世界に入りました。

 

 旧約聖書は、人間によって壊れた世界を、神様がそこからどうやって直していったのかを示しています。神様は何人かの人を選んで、その人たちにご自分を表し、関係を作りました。その中の一人が、アブラハムという人でした。神様はアブラハムと契約を作って、アブラハムの子孫を偉大な国とすると約束されました。また、アブラハムの子孫を通して、神様と人間の間の失われた平和をもたらす、救い主を送ることも約束されました。アブラハムの子孫とはイスラエル人のことで、旧約聖書にはイスラエル人と神様の関係が何世代にもわたって記録されています。旧約聖書は、ある意味でとても悲しい話だと思います。神様は世代を超えてご自分の民を助け、ご自分を表されましたが、彼らは神様を繰り返し拒んだのです。旧約聖書は、神様がご自分に不誠実な者たちに忠実を尽くされた歴史です。

 

 それに対して新約聖書は、神様が旧約聖書で約束された約束をどのように守られたのかを記録しています。それは、イエス様を世の救い主として送り出すことによってなされました。イエス様は、それまでのすべての預言者とは違っていました。イエス様はただ人間に神様のメッセージを届けるだけではなくて、ご自分の命を捧げることを通して、神様と人間の間に和解の道を作ってくださいました。新約聖書の大きなメッセージは、誰でもイエス様を信じて、自分の罪を悔い改めるなら、神様から赦しを得て、神様と永遠に平安の中で住むことができる、ということです。そして、イエス様を信じる人は神様の御霊を受けることも約束されています。新約聖書は、神様の御霊と共に歩むことを通して神様に従うことを教えています。神様の御霊を受ける人は、神様に忠実に従うことによって、前の世代の人々ができなかったことをすることができます。そして、イエス様は将来この世界に戻られて、ここでご自分の永遠の国を建て、アダムとエバが壊してしまった平安を回復させてくださいます。その時には罪と苦しみが永遠に無くなって、神様がご自分の民と永遠に住んでくださると約束されています。

 

 聖書には、歴史や、法的文書や、歌や、預言や手紙が収録されていますが、その全体を通して、世界で最も壮大な物語を表しています。この物語は素晴らしく深遠なもので、一生勉強しても私たちはそれを完全に理解することはできません。私たちがこの物語を最初から最後まで1000回読むとしたら、読むたびに新しいことを学ぶでしょう。

 

 最後に、聖書を読みたいけど、どこから読んでいいか分からない方がいたら、どのように読み始めるのがいいでしょうか。私が勧めるのは、新約聖書の三つの本から始めることです。まずは、ルカによる福音書を読みます。ルカによる福音書は、歴史家だったルカによる、イエス・キリストの伝記です。ルカは、ユダヤ人ではない人がイエス様のことを知るためにこの書物を書いたので、日本人にとっても一番分かりやすいと思います。ルカの福音書を読んだら、次に使徒の働きを読むといいと思います。使徒の働きもルカが書いた本で、イエス様が天に昇られた後、どのようにキリスト教が初まっていったかが記録されています。イエス様の教えがイスラエルから世界に広がっていったプロセスが記録されている、ルカによる福音書の続きと言えます。三つ目には、ローマ人への手紙をおすすめします。これは使徒パウロがローマにある教会に書いた手紙で、キリスト教の基本的な教えが非常に詳細に説明されています。

 

 この三つの本を読んだ後は、毎日、少しずつ聖書を読んでいくといいと思います。旧約聖書を最初から少しずつ読んで、また詩編からも少し、そして新約聖書も最初から少しずつ読んでいくといいと思います。そのようにして毎日聖書を読んで、また読んだことに従うなら、ダビデが言ったように、大きな報いを受けると確信しています。

 

 それから、もう一つおすすめしたいことは、聖書を読んだら、同じように聖書を読んでいる他の人と、読んだことについて話すことです。毎週日曜日、私たちは神様のみことばを理解するために聖書を開いて学んでいますが、このような集まりも、聖書を読んでいる他の人達と話す良い機会だと思います。

 

 私の願いと祈りは、私たちがダビデ王のように、聖書から平安や知恵、喜び、悟りと理解を得ることです。すべての人が聖書を通して、神様に関する真理と、イエス様を通して与えられた希望の約束を知るようになることを共に祈りましょう。