主にあって同じ思いに

ピリピ人への手紙4章2-3節

ロビソン・デイヴィッド
2022年04月10日

ピリピ人への手紙4章2-3節

「ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。」

 

 私たちが人生で直面する難しい状況のひとつに、友人との意見の違いがあります。時には、意見の違いが怒りにつながり、お互いに傷つけ合うような言葉を浴びせることもあります。それが原因となって、友人関係が途絶えてしまうこともあります。また、大きな意見の違いになると、周りもみんな巻き込まれ、どちらの味方なのか選択するように迫られるような状況になることもあると思います。

 教会も、このような問題と無縁ではありません。イエス様は私たちに、互いに愛し合い、仕え合うように教えられましたが、それでもなお、教会のメンバー同士の不一致は、しばしば起こることなのです。不一致が起こること自体は自然なことと言えます。しかし、このような不一致を、教会としてどのように解決したらよいのでしょうか。

 

 先ほど読んだピリピ人への手紙4章2-3節には、神様が、教会での激しい意見の対立をどのように扱うことを望んでおられるかを見ることができます。この箇所でパウロは、ピリピ教会に多くの励ましの言葉を書いた後、突然、非常に具体的で個人的な問題を取り上げています。パウロは教会の中の二人の女性の名前を挙げ、不一致を解決するように促しています。この2つの節は、何百年も前にピリピ教会で起こった具体的な状況を扱っていますが、私たちはこの節から、現代の教会においても、クリスチャンが意見の違いをどのように扱うべきかについて多くを学ぶことができます。

 まず、当時ピリピ教会で起こっていた具体的な状況について見てみましょう。

 ピリピの教会では、ユウオディアとシンティケという二人の女性が活躍していました。しかし二人の間には、何かの意見の相違があったようです。それが何であったかは分かりません。しかし、この二人がピリピ教会で影響力を持っていたことは確かです。パウロは、彼女たちが自分とクレメンスという人物と一緒に働いたと書いています。使徒の働き16章によると、ピリピ教会は、祈るために川で集まっていた女性たちとパウロが出会ったことから始まりました。この女性たちの何人かは、ピリピで最初のクリスチャンとなり、ピリピ教会の創立メンバーとなりました。ユウオディアとシンティケは、この創立メンバーの一員であったのではないかと思います。パウロは、彼女たちと一緒に宣教活動をしたことがあり、彼女たちは自分のパートナーであったと述べています。

 この二人の間の対立は、かなり深刻なものであったようです。パウロは教会全体に宛てた手紙の中で、ユウオディアとシンティケの名前を出して、この問題を取り上げているからです。しかし、パウロの意図は、彼女たちを辱めることではなく、励ますことでした。パウロがピリピ人への手紙を書いた主な目的は、ユウオディアとシンティケの不和を解決することだった、と推測している神学者もいます。

 この箇所に至るまで、パウロはこの手紙の中で、教会内の一致の重要性についてたくさん語ってきました。この箇所では、教会がその教えに従うための、実践的な方法を示しています。以前の箇所でパウロが一致について書いていたことを振り返ってみましょう。

ピリピ2章2節
「あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。」

 

 この節でパウロは、教会の一致が非常に重要であること、そしてクリスチャンがどのような一致を維持するように努めるべきかを強調しています。ここでパウロは、ピリピのクリスチャンたちに「同じ思いとなり」するよう促していますが、このフレーズは、原文のギリシャ語では、パウロが今日の箇所で「主にあって同じ思いになってください」とユウオディアとシンティケに語り掛けているフレーズとほとんど同じです。教会内の一致の重要性、そしてキリストへの献身を共有することで、教会にしかない特別な一致が生まれることを教えた後、パウロはこの教えを実践するために、ピリピ教会全体、そして特にユウオディアとシンティケに、意見の相違を解決するように呼びかけているのです。

 パウロが、この状況を克服するためにどのような具体的な教えを説いたのか、また、パウロの教えから、現代の私たちがどのように教会の不一致を扱うことができるかを見ていきたいと思います。しかし、その前に、この箇所から一つの非常に重要な点を強調したいと思います。今日のメッセージの中で何か一つだけ覚えて帰るとしたら、この一点を覚えてください。

 それは、クリスチャンはいつも同じチームの一員だ、ということです。

 別の言い方をすれば、クリスチャンは、たとえ今は意見が違っても、神様からの召しと未来を共有しているのです。ピリピ人への手紙4章3節を見てください。

ピリピ4章3節
「そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。」

 この節でパウロは、この二人の女性の共通点を強調しています。彼は二人を批判するのでもなく、どちらかに味方するのでもありません。その代わりに、二人の共通点を思い出させているのです。

 この二人の女性は、ピリピで教会を始めるためにパウロと一緒に働きました。ここで重要なことは、そのチームのリーダーはパウロではなく、キリストご自身であった、ということです。パウロとユウオディアとシンティケは、イエス・キリストへの愛を共有し、イエス・キリストによる永遠のいのちへの希望を共有していたからこそ、彼らは共にイエス様の教えを実行するために集まったのです。イエス様には、人々を罪と恐れと裁きから救う力があるという信仰を共有していたからこそ、彼らはピリピの人々に、キリストの希望のメッセージを一緒に伝えることができたのです。パウロ、ユウオディア、シンティケ、そしてその他多くのクリスチャン達は、キリストにあって共にキリストの目的を達成するために協力し合ったのです。

 それだけでなく、パウロはピリピの人々に、クリスチャンは皆、いのちの書物に名前が書かれている、という事実を思い出させています。黙示録20章15節には、天には本があり、そこには神がご自分のものとされた、すべての人の名前が記されているとあります。イエス・キリストを信じるすべての人は、この本に名前が書かれており、神の王国で永遠のいのちによみがえります。パウロはユウオディアとシンティケを名指しで呼び、不和を解決するように促しながら、この二人の名も天に記されていることを、教会全体に保証したのです。彼らは互いの敵でもなければ、教会の敵でも、キリストの敵でもありません。神はユウオディアとシンティケを二人とも愛しておられ、二人が合意に至ることを望んでおられるのです。

 

 私たちが他のクリスチャンとの意見の違いに直面するとき、相手も自分と同じように、いのちの書に名前が記されているのだということを忘れてはいけません。私たちは同じ目標に向かって働いており、同じ栄光の未来が待っていることを忘れてはならないのです。これが、この箇所から学べる、最も有益な教訓だと思います。

 この重要な点を念頭に置いて、パウロがピリピ教会にどのように対処するように勧めたか、もう少し詳しく見てみましょう。

 まず、パウロは意見の対立があった二人に、主にあって一致するように励ましました。ピリピ人への手紙4章2節にこのことが書かれています。

 クリスチャン同士の意見の違いを解決するための最初のステップは、普通のことのように思えるかもしれませんが、非常に大切なステップです。それは、まず一緒に座って、解決するように努めることです。つまり、意見の違いについて話し合い、冷静に、愛をもって相手を理解しようとすることです。その際、キリストに従うという共通の召しと、キリストのみこころを実行したいという共通の願いを忘れないようにしなければなりません。

 ここで注目していただきたいのは、パウロが、ユウオディアとシンティケの二人に別々に、主にあって一致するように懇願していることです。「ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。」と書いてあります。

 パウロは二人のうち一人だけに対して譲歩するように言うのではなく、二人に協力して一致するように言っているのです。二人のクリスチャンの意見が対立した時に、どちらか一人だけが解決に向けて努力したとしても、一致は達成されません。

 次に、パウロはこの二人の女性に対して、ただ合意するだけでなく、「主にあって心を一つにするように」と懇願しています。これは、パウロがこのピリピ人への手紙の中で、すでに一致について述べてきたことを踏まえて理解することができます。ピリピ人への手紙2章1-5節を見てください。

「ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。」

 

 これらは、パウロがユウオディアとシンティケに勧めている態度です。彼らはキリストへの愛と献身のゆえに、キリストのみこころに従うべきなのです。

 意見の違いを脇に置いて、共にキリストを追い求めなければなりません。心を一つにし、同じ愛を分かち合い、教会におけるキリストの働きに関して完全に一致するように努めなければなりません。キリストは肉体を持った神であり、全人類の創造主ですが、この地上に来て、被造物に仕え、私たちのために十字架で死ぬまでしてくださったのです。パウロはユウオディアとシンティケに、互いにこのような態度をとるように勧めました。

 これが、クリスチャンに求められている、意見の違いを乗り越えるための方法です。私たちは謙虚に、そして正直に、一緒に座って話しをし、同じ目標に向かって働いていることを認識し、一致を維持し、世界におけるキリストの働きを促進するために、自分のプライドや欲望を脇に置いて、一致を追い求めるのです。

 しかし、もしそれができない場合はどうすればいいでしょうか。たとえば、どちらか一方に、不一致を解決するために努力する意志がない場合はどうなるでしょうか。そのような場合には、中立的で、賢明で、信頼できる教会のメンバーを、仲介者として間に入れることが必要かもしれません。パウロは3節でピリピ教会にそう勧めています。

 ピリピ人への手紙4章3節
「そうです、真の協力者よ、あなたにもお願いします。彼女たちを助けてあげてください。この人たちは、いのちの書に名が記されているクレメンスやそのほかの私の同労者たちとともに、福音のために私と一緒に戦ったのです。」

 

 この節でパウロは、「真の協力者」と呼ぶ人物に向かって、ユウオディアとシンティケの仲違いを解決する手助けをしてくれるよう頼んでいます。教会の中に強い意見の対立があり、その対立が教会全体の一致に影響を与え始めているなら、教会はそれを解決する責任を負っているのです。これは非常に慎重かつ謙虚に行われるべき事です。このような状況における教会の務めは、単に裁判官として一方が正しく、他方が間違っていると宣言することではありません。そうではなくて、不一致の中にいる人々を励まし、解決に至るように手助けすることです。当事者たちに、自分たちが共有している信仰を思い出させることです。また、意見の対立の根底にあることを理解しようと努め、一方が誤解をしていたり、自己中心的な動機から対立を引き起こしているような場合には、穏やかにそれを正さなければなりません。

 同様に、教会のメンバーである私たちはみな、自分たちの意見の相違を解決する手助けを任された人のアドバイスや助言に耳を傾け、注意深く検討する責任があります。

 教会のメンバーであることの一つの重要な意味は、互いに一致するよう努めることを約束することです。

 今日の箇所は、私たちが教会の中で目指すべき、理想的な形を示しています。聖書はこれを、私たちが達成できる形として提示しています。しかし教会に集うメンバーが、自分が間違っているかもしれないと考えることを拒否することもありますし、教会のリーダーが、権威をふりかざし、愛のない対応をすることもあります。このような場合、教会内の一致は破壊されてしまいます。

 しかし、私たちの希望は、イエス様が、教会のメンバー一人ひとりの中にも、教会全体の中にも働いておられることです。パウロはユウオディアとシンティケに、キリストにあって一致することを促しました。神様が望まれるような一致と団結は、キリストにおいてのみ見出すことができます。そして、私たちがその一致を達成するとき、それは何よりも素晴らしいことです。それは、天国の小さな前味のようです。神の民は何世紀にもわたって、神様のもとでの一致のある共同体に属したいという願いを持っていました。ダビデ王が何千年も前に、この願いを見事に表現した短い詩篇を書きました。最後に、この詩篇133篇を、みんなで声を出して読み、そして、祈りましょう。

 

詩編133篇1-3節
「見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。

それは頭に注がれた貴い油のようだ。それはひげにアロンのひげに流れて衣の端にまで流れ滴る。

それはまたヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」

 

 私たちの教会に、このような一致がありますように。そして、私たちを通して、神様が私たちの世界に平和と一致をもたらすために働いてくださいますように。