不一致の中にも 働かれる主

使徒の働き15章36~41節

ロビソン・デイヴィッド
2020年08月 2日

クリスチャン同士で意見の違いがあると、とてもつらいことになることがあります。不一致によって教会が分裂したり、傷つけあうこともあります。私たちはみな色々な意見や経験を持っているので、意見の相違は避けられないことです。しかし、クリスチャンは深刻な意見の相違に直面した時、何をすべきなのでしょうか。
 今日の箇所では、パウロとバルナバがどのように深刻な意見の相違に対処したかを見ることができます。この時の不一致は深刻な内容で、一緒に働き続けることができないという結論になりました。このことは、教会の健全性にとって壊滅的な出来事になりえたことでしたが、神様の恵みによって、害ではなく、むしろ教会を強める出来事となりました。すなわち、この出来事の結果、アンティオキアの教会は一つの宣教チームだけでなく二つのチームを送り出すことになり、神様の働きが倍増しました。この働きを通して励まされる教会が増え、新しい働き人が訓練され、福音を聞く人も増えたのです。
 今日は、神様がこの難しい状況の中にどのように働かれたのかを学ぶことを通して、私たちクリスチャンが意見の相違にどう対処するべきなのかを考えたいと思います。まず、このパウロとバルナバの意見の相違の元を考えましょう。
 パウロとバルナバは長年(ながねん)の関係で、とても親しい友人として共に働いていた同労者でした。パウロが最初にクリスチャンになった時、エルサレムのクリスチャンは教会を迫害したパウロを信頼できなかったのですが、バルナバがパウロを使徒たちに紹介して、パウロが大胆にキリストのために証しをしていたことを伝えました。その後、エルサレム教会がアンティオキアのクリスチャンを教えるために、バルナバをアンティオキアの教会に送り出した時、バルナバはパウロを一緒に連れて行き、共に働き始めました。それから何年もしてから、アンティオキアの教会がパウロとバルナバを初代教会の最初の大宣教旅行に送り出しました。その宣教旅行の間に、彼らはたくさんの遠くの町に行って福音を伝え、教会を開拓しました。キリストのために迫害も共に経験しました。それだけではなくて、宣教旅行のあと、アンティオキアの教会でのモーセの律法についての論争を解決するために、アンティオキアの教会はパウロとバルナバを代表としてエルサレムに送り出しました。
 パウロとバルナバは、神様のためにたくさんの大きな働きを共に担(にな)いました。二人の関係はクリスチャンのパートナーシップのとてもいい模範になりました。しかし、今日の箇所の中では、長年のパートナーシップにもかかわらず、別々に宣教旅行をすると決めたというのです。
使徒の働き15:36-38
 ここで意見の相違の原因が見えます。最初の宣教旅行の時、パウロとバルナバは助手としてマルコを選びました。コロサイ人への手紙4:10によると、マルコはバルナバの親戚だったそうです。また、このマルコはマルコによる福音書を書いた人物です。マルコが使徒の働きの中で最初に登場する場面は12章です。天使によって刑務所から解放された後、ペテロは弟子たちが祈っている家に行ったのですが、その家がマルコの母のマリアの家だったと書いてあります。マルコは熱心なクリスチャンの若者でしたので、バルナバは彼が将来良い働き人になるだろうと思い、パウロとバルナバを補佐するのはとてもいい経験になると思ったかもしれません。
 しかし、最初の宣教旅行が始まったばかりの時、マルコは突然宣教旅行を辞めて、エルサレムに帰ってしまったのです。マルコがなぜ帰ってしまったのか、聖書の中には記録されていません。ホームシックになったか、またはパウロの方針に同意できなかったか、色々な説があります。しかし一つ分かることは、マルコが帰ってしまった後、パウロとバルナバがたくさんの危険や迫害を経験したということです。そしてそのような困難な局面で、マルコはパウロとバルナバを助けることはできませんでした。その結果、パウロはマルコを信頼できないと考えて、二回目の宣教旅行に連れて行ってもまた途中で投げ出すかもしれないと思っていました。
 しかしバルナバは、マルコに二度目のチャンスをあげたいと考えていました。その理由は、マルコが自分の親戚だったからかもしれません。またはバルナバがやさしい人だったので、マルコの可能性に賭けようと考えたのかもしれません。バルナバは人を信頼する人でした。他のエルサレムのクリスチャンがパウロを疑いの目で見ていた時も、バルナバだけはパウロを信頼して、パウロを弁護しました。バルナバはこの時、同じようにマルコのことも弁護したのではないかと思います。
 しかし、パウロは妥協しません。パウロはマルコと一緒には行かないと言い、バルナバはマルコなしでは行かないと言って、話が平行線になってしまったので、最後にはパウロとバルナバは別れることを決めました。これはとても感情的な決断だったと思います。パウロとバルナバはお互いに怒りを感じて、傷ついていたと思います。二人とも、相手が間違っていると強く感じていました。
 パウロは、バルナバはマルコを信頼しすぎていて、マルコが宣教旅行を危険にさらすと考えていました。一方バルナバの方は、パウロがマルコに情けをかけずに冷たく扱って、熱心なクリスチャンの若者を弟子とする機会を棒に振っていると考えていました。この状況では、パウロとバルナバの関係が壊れて元に戻れなくなってしまう恐れがありました。それだけではなく、彼らはアンティオキアの教会のリーダーでもあったので、教会にダメージを与える恐れもありました。しかし、神様の知恵によって、この危険は回避されました。
 今日の箇所から三つの点で、クリスチャン同士の意見の不一致をどのように扱うべきかについて学びたいと思います。
1.    パウロとバルナバは神様の召しを放棄しなかった
2.    パウロとバルナバは教会の一致を守った
3.    パウロとバルナバは恨みを抱(いだ)かなかった
 まず一つ目の、パウロとバルナバが神様の召しを放棄しなかったということについて考えましょう。使徒の働き15:39-40
 パウロとバルナバは、最初の宣教旅行の時に開拓した教会を励ますために訪ねる召しが神様から与えられたと強く感じていました。これは大きなニーズでした。それぞれの教会の長老たちは、ごく最近クリスチャンになった人たちで、また専門的な神学教育を受けていない人たちでしたので、彼ら自身が多くの質問と問題に直面していました。パウロとバルナバのような成熟したクリスチャンのサポートなしでは、福音の真実から離れてさまよう恐れがありました。パウロとバルナバは二人ともこの状況をよく分かっていましたが、どのような方法でこの訪問を実現させるかということに関して、意見が一致しなかったのです。
 そのような時には、どうすればいいのでしょうか。この時彼らは、それぞれが神様の召しに従うことを優先し、別々に同じ召しに従うと決めました。バルナバとマルコは最初の宣教旅行と同じルートをたどり、パウロはシラスを選んで、前に行った町々を逆の順番で訪ねて行きました。パウロとバルナバの間には大きな不一致がありましたが、それでも彼らは神様に信頼して、神様が自分たちを別々に用いられると確信して、同じ召しに別々に従うことに決めました。このようになるためには、パウロとバルナバの双方が謙虚さを持つことが必要でした。パウロとバルナバが願っていた一番大切なことは、神様の働きがなされることだったので、神様がお互いを用いてくださり、それぞれの方法で成功することを望んだのだと思います。
 私たちは、他のクリスチャンとの意見の相違が原因で神様の召しを放棄することがないようにするべきです。私たちクリスチャンの最優先事項は、神様の栄光を表すことです。そのためには、他のクリスチャンと同意できない場合でも、自分と相手がお互いに神様の召しに従うことのできる解決策を探す必要があると思います。
 続けて二番目の点、パウロとバルナバが教会の一致を守ったという点について考えましょう。40節を見て下さい。
 パウロとバルナバは意見の相違があっても、アンティオキアの教会の一致を守ろうとしました。この激しい議論は、簡単に教会の分裂を引き起こす可能性がありました。彼らは教会のリーダー達だったので、もしこの議論を教会に持って行ったとしたら、教会の半分がバルナバに賛成して、もう半分がパウロに賛成して、教会の一致が乱されただろうと思います。
 しかし彼らは自分たちの間で新しい戦略を作りました。二つのチームに分けて、バルナバとマルコがひとつの方向に、パウロとシラスが別の方向に行って、それぞれの教会を励ますという決断でした。これが教会の一致を守っただけでなく、送り出される宣教師を倍増させることにもなったのです。
 同じように、現在のクリスチャンが激しい議論の末に同意することができない場合は、教会の一致を守ろうとするべきです。まずはできるだけ、相手と個人的に不一致を解決しようとする努力が必要ですが、それでも不一致を解決できない場合は、謙虚な心で教会の信頼できる人に相談したらいいと思います。その際には、自分を正当化して相手を批判することをせず、謙虚な心で教会の知恵を聞こうとする姿勢が必要です。
 最後に三つ目の点、パウロとバルナバが恨みを抱(いだ)かなかったということについて考えましょう。
 彼らは、自分たちの間に激しい議論があっても、相手の意見に強く反対していても、相手自身を拒絶することなく、キリストの愛を相手に現わしました。共に働き続けることができなくなっても、恨みを抱(いだ)くことなく、和解を希望していました。
 たとえば、パウロがこの出来事の何年かあとに書いたコリント人への手紙第一の中で、パウロはバルナバについて、良い働き人で、自分の欲望を脇に置いて教会の人々のニーズを考えた、と書いています。
 また、パウロとマルコも和解したようです。パウロは晩年、ローマに投獄された時、人々が自分から離れていく中で、弟子のテモテに手紙を書きました。テモテへの手紙第二4:11では、テモテにマルコを伴って一緒に来るようにと頼んでいます。
テモテへの手紙第二4:11
 マルコはパウロの務めのために役に立つことになったようです。パウロはマルコを信頼しませんでしたが、のちにマルコがパウロが信頼できる人に成長したということです。パウロはマルコを誤解していました。マルコについてはバルナバの方が正しかったわけです。しかし、この三人の誰も恨みを抱(いだ)くことなく、謙虚な心で自分の間違いを認め、もう一度一緒に働くようになりました。これは素晴らしいことだと思います。
 クリスチャン同士の間に意見の相違があっても、最終的に和解できるとすれば、それがキリストの愛、また、キリストと私たちとの和解を表していると思います。
 私たちは多くの場合、クリスチャン同士の間で起こる意見の不一致は、関係を破壊し害にしかならないと考えるかもしれません。しかし、このパウロとバルナバの決別とのちの和解は、私たちに望みを与えてくれます。神様はここで、分裂を引き起こすような激しい議論を通してでも、ご自分の良い目的を達成されました。福音が広がり、教会が開拓され、キリストの働きが増し加わっていったのです。また、聖霊を通して、相手と和解する希望も持つことができます。激しい議論があっても、聖霊は人間の心を和らげて神様の真実をあらわし、和解に導くことがおできになるのです。
 私たちクリスチャンは、常に一致を維持するよう努めるべきです。しかし、共に働き続けない決断をすることが起こる可能性があります。その場合は、神様に信頼することを通して、自分も相手も神様に委ねて、神様に仕え続けることが重要です。
 クリスチャン同士の重大な意見の相違は、とてもつらい経験になるかもしれませんが、神様はそのことを通してでも、ご自分の目的を達成される方です。教会の中の意見の違いが、神様のご計画を台無しにすることはできません。そのような状況の中にも神様が働き続けてくださることに信頼して、謙虚な心で、相手が神様の栄光を表すことができるように祈る者としていただきましょう。