ビジョン4:クリスチャンと教会を生み出し続ける教会

マルコの福音書4:2-8

ロビソン・デイヴィッド
2020年05月31日

今日は私たちの教会のビジョンのシリーズを続けます。まず、宮古めぐみキリスト教会のビジョン文を振り返りましょう。
「みことばを土台とし、聖霊に導かれながら、宮古のすべての人をキリストへと導き、クリスチャンが神によって変えられ力づけられ、クリスチャンと教会を生み出し続ける教会」
 このビジョン文を作った時、私たちはイエス様の大宣教命令を中心に考えました。イエス様はご自分の教会に対して、行って、あらゆる国の人々にバプテスマを授け、イエス様が命じられたすべてのことを守るように教えなさいと命令されました。この命令から分かることは、私たちは周りの人に福音を伝えて、救いへ導くために召されているということです。ですから、私たちは宮古のすべての人をキリストへと導くために働いています。またイエス様は、信じている人々にイエス様が命じられたことを守るように教えるためにも、私たちを召してくださっていることが分かります。その召しが、私たちのビジョンの中の、「クリスチャンが神によって変えられ力づけられる」ということに込められています。
 イエス様の大宣教命令は、一つの地域に限られたことではありません。イエス様は最初の弟子たちに、エルサレムの人々だけを弟子にしなさいとは言われず、行ってあらゆる国の人々を弟子としなさいと命令されました。そして使徒の働き1:8で、この命令を果たすための一つの戦略を私たちに示してくださいました。
使徒の働き1:8
 以前この箇所から学んだ時、福音がどのように世界中に広がるのかを学びました。まず近くにいる人、つまり同じ町に住んでいる人に福音を伝えます。そこから、福音がどんどん遠く、地の果てまでに広がるように働く、というものでした。
 今日考えたいことは、私たちが宮古にある地域教会として、どのように神様の大宣教命令に参加することができるのかということです。福音があらゆる国の人々に届けられるように、何をすべきのでしょうか。その答えはクリスチャンと教会を生み出し続ける教会になることです。
 福音が宣言されて、クリスチャンが生まれている所には、新しいクリスチャンが信仰において成長し、キリストの体の部分として神様を礼拝したり、仕えたりするために、新しい地域教会が生まれることも必要です。つまり、大宣教命令を完全に達成するためには、世界中で人々が救いに導かれるだけではなくて、世界中で教会が開拓されることも必要なのです。
 しかし、小さな小さな地域教会である私たちにとって、これはとても大きな仕事です。これを本当にしようとすれば、たくさんの問題にぶつかります。たとえば、政府がキリスト教を迫害している北朝鮮のような所に住んでいる人に、どうやって福音を伝えるのか。私たちと違う言語を使っている人にどうやって福音を伝えるのか。どうやって地球の反対に住んでいる人に福音を伝えて、教会開拓をするのか。この岩手県の、10人にも満たない群れである私たちが、そんな壮大な働きのためにできることなどあるんでしょうか。世界に対する宣教どころか、私たち数人のクリスチャンが、宮古に住んでいる5万人に伝道することなどできるでしょうか。一人が5千人に福音を伝えることができるでしょうか。
 この世界にまたがる大宣教命令を達成するための最初のステップは、私たちがクリスチャンと教会を生み出し続ける教会になることです。つまり、福音を世界中に広げる方法は、生み出すことなのです。
 たとえば、神様が一人のクリスチャンを通して、一人の人を救いに導き、その新しいクリスチャンを通してもう一人の人を救いに導く、というように働き続けたら、クリスチャンの人数は大幅に増えることになります。同じように、神様が一つの地域教会を通して、新しい地域教会を生み出して、その新しい教会を通して、また新しい教会を生み出して、そのように働き続けるとしたら、教会も大幅に増えていきます。私は、神様が私たちの中にこのように働いてくださるのを祈っています。
 まだ開拓教会として始まったばかりの私たちが、将来さらに開拓をすることを今の時点で考えているのは変なことに見えるかもしれません。しかし、教会としての歩みの最初から、神様の素晴らしい働きを見据えることは大事なことだと思います。それによって、神様ご自身の偉大さを覚えることになります。神様ご自身が私たちを通して、私たちが一人では無理なことをしてくださるのです。神様は、そのご計画をみことばの中にすでにあらわしてくださいました。神様はイエス様の現在の弟子である私たちに、地の果てまでに福音を届けて、人々をイエス様に導き、イエス様のすべての命令を守るために教える、という召しを与えてくださいました。
 そのためには、新しい教会を生み出すことが不可欠です。伝道と教会開拓は密接につながています。私たちが誰かをイエス様に信じるように導く時、イエス様に従って、イエス様の体である教会のメンバーになることを励ますことが必要です。
 使徒の働きを読むと、それをはっきり見ることができます。使徒パウロは異邦人に福音を伝えるために、アンティオキアの地域教会から送り出されました。人が福音を受け入れる所にはどこでも、新しい地域教会も建てあげられました。
 同じように、神様が与えられた召しは、一つの地域教会を建てあげる所で終わらないことが分かります。私たちの召しは、クリスチャンを生み出すクリスチャンになること、教会を生み出す教会になることです。この宮古めぐみキリスト教会は、盛岡聖書バプテスト教会から開拓されています。私たちの願いは、神様が将来、宮古めぐみキリスト教会を用いて、新しい教会を開拓することです。
 では、どうしたらこの働きを始めることができるでしょうか。マルコの福音書4:2-8を見て下さい。
 このたとえ話の意味は何でしょうか。イエス様が14-20節でこれを説明されました。種は神様のみことばを表しています。そして、畑は神様のみことばを聞く人を表しています。みことばへの応答は人によって違います。多くの人が神様のみことばを聞きますが、信じません。そのような人の心にはみことばは根付くことも、実を結ぶこともなく、人生に影響を及ぼしません。しかし、ある人は神様のみことばを聞いて受け入れ、みことばによって人生が変えられることになります。みことばはそのような人の心に入って、神様のためにたくさんの実を結びます。
 私たちは、一人ひとりが種をまく人になるように召されています。クリスチャンを生み出すクリスチャンになることはこういうことです。私たちは神様のみことば、つまり福音を、どこに行っても、種のように蒔くように召されています。イエス様のたとえ話の中では、種を蒔く人はどのように蒔きましたか。土を詳しく検査して、種を無駄にしないように、良い地にだけ種を蒔くのでしょうか。そうではないんです。広い範囲に向かって、種を投げるようにして蒔いていたのです。このたとえ話を聞くと、種の四分の三が無駄になってしまうようですが、種を蒔く人には不安はありませんでした。良い地に根付く種が必ずあると確信していたからです。同じように私たちも、福音をたっぷりと散らすように蒔くべきです。誰が福音を受け入れるか受け入れないかと考えずに、誰にでも福音を伝えた方がいいのです。私たちの役割はただ福音を伝えることで、福音が人の心を動かすかどうかは神様の役割だからです。
 大宣教命令に従うためには、そこから始めることができます。壮大な世界伝道の戦略を作らなくてもいいです。国際的な宣教団体を始めなくてもいいです。ただ、周りにいる人に福音を伝えることから始めるのです。
 次に、8節を見てください。種が良い地に落ちたあと、何が起こったでしょうか。「すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」とあります。20節でイエス様がこれを説明されました。イエス様は、人が福音を聞いて受け入れると、実を結ぶことになると言われました。福音はどのような実を結ばせるのでしょうか。聖書は多くの箇所で、信仰の実は義だと言っています。また、ガラテヤ人への手紙5:22-23では、御霊の実は愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制だと言われています。人の心は不毛な畑のようですが、福音が人の心に入って来ると、豊かな作物が育って、百倍までの実を結びます。福音が人の心に入る前には、心の中には神様に対する愛がありませんが、福音が入って来ると、神様に対する愛が育って、徳に満ちた人生を与えてくれます。
 また、この実を結ぶことに関してもう一つの意味があらわされていると思います。イエス様は、福音の実が三十倍、六十倍、百倍になる、と言われました。つまり、福音の実の特徴の一つは、実がどんどん増えていくことです。
 岩手では、今頃から田植えが始まっているでしょうか。夏になって畑を見ると、たくさんの稲を見ることできます。その稲は、米一粒から生まれるのです。その米一粒から稲が育って、実を結び、300もの米粒を生産します。これはよく考えるととても不思議なことだと思います。一粒の米が土に入って、雨が降って、太陽が照ると、半年後にはその一粒が何百粒に増えるのです。
 イエス様が意味していることは、福音がこのように増えて広がるということだと思います。一人の人が福音を受け入れると、福音がその人の心に入って大きくなっていき、今度はその人が種を蒔く人になります。周りの人の心に福音の種を蒔くことになるのです。
 冒頭で、私たち10人に満たない教会が宮古のすべての人を福音を伝えるためには、一人一人が五千人ずつに福音を伝えなければ、と言いました。しかし、福音が指数関数的に増えることを考えると、別の方法が見えてきます。
 世界にクリスチャンがたった一人だけいると想像してみてください。その一人のクリスチャンが福音の種を蒔いて、一年の内にもう一人が福音を受け入れて、クリスチャンになったとします。次の年は、世界に二人だけのクリスチャンが、それぞれもう一人ずつをイエス様に導きました。そのようにして毎年クリスチャンが増えていったとしたら、世界のすべての人がクリスチャンになるのにどのぐらい時間がかかると思いますか。5千年でしょうか。千年でしょうか。実は、たったの33年なんです。
 私たちは、宮古のすべての人、また、世界のすべての人を救いに導くために、このように始めましょう。種を蒔く人のように、広く周りの人に福音の種を蒔きましょう。
 しかし神様が与えて下さった教会のビジョンには、新しいクリスチャンが生み出されることだけではなくて、新しい教会が生み出されることも含まれています。私たちの目的は、宮古のすべての人をキリストへと導くことなので、私たちが本気で神様に従って、神様が私たちを通して働いてくださるなら、一つの教会では足りません。将来、宮古でさらに新しい教会が生み出される必要があります。今はその将来は遠くにあって、神様がどのように働かれるのか、どのようにそれを生み出すのかは全然わかりませんが、私たちは神様が働いてくださることに信頼しなければなりません。神様が私たちを通して、そのような素晴らしいことを成してくださると信じなければなりません。私たちが教会の長期計画を考える際には、その信仰を元に考えるべきだと思います。
 では、私たちは今、何をしたらいいのでしょうか。今一番大切なことは祈りです。神様が私たちを、教会を生み出す教会として成長させてくださることを忠実に祈りましょう。そして、神様が私たちの信仰を強めてくださるようにも祈りましょう。
 今できるもう一つのことは、世界宣教の働きを経済的に、また祈りを通してサポートすることです。たとえば、海外で働いている宣教師に献金したり、その国での働きについて知ってそのために祈ったり、何らかの形で手伝ったりすることもできます。将来、教会として短期宣教旅行に出かけられるかもしれません。また、この教会から新しい働き人が召されて、私たちが喜んでその人を送り出す可能性もあると思います。
 私たちが教会として成長しながら、神様を喜ばせる教会としてどのように用いていただけるかを考えてみましょう。私たちが信仰によって歩み、神様に従って宮古で福音の種を蒔くなら、ご自分の約束に忠実であられる神様が、収穫をもたらしてくださると信頼しましょう。そして、宮古のすべての人だけではなくて、地の果てに住んでいる人にまで福音が届けられるように祈りましょう。